霜降り明星の粗品は「まだかわいい」?千昌夫から矢沢永吉、林修…トンデモ「借金伝説」

日刊大衆

「霜降り明星」粗品
「霜降り明星」粗品

 お金の問題で転んでもスターたちはただでは起きない。仰天の返済から奇跡のチャラまで抱腹絶倒の秘話!

 先日、お笑いコンビ・霜降り明星粗品(28)が、バラエティ番組『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で衝撃の告白をした。

「ギャンブルで負けて多額の借金があるというんです。額については〈会社ぐらい〉とし、〈漫画で、僕と同じ額を借りてるヤツが1か月返済遅れたら、山にここ(首の下)まで埋められてました〉と言って他の出演者を驚かせました」(放送作家)

 会社の規模にもピンからキリまであるが、少なくともウン千万単位なのではないか? だが、粗品はまだ序の口レベル。芸能界には、大物たちの強烈な借金エピソードがワンサカある。

 昭和映画界屈指のスターであり、親友同士であった石原裕次郎(享年52)と勝新太郎(享年65)は、それぞれ映画にのめり込み、多額の借金を抱えた。

 石原は、1963年に日活から独立して「石原プロモーション」を設立。自由な映画製作を目指した。

「最初こそ成功した作品もありましたが、『ある兵士の賭け』など興行的な失敗作が続き、70年代初頭に、石原プロとして8億ともいわれる借金を抱えています」(当時を知る映画関係者)

 68年に起こった、あの偽の白バイ警官が現金輸送車を乗っ取って逃走した「3億円事件」の数年後の話である。

「当時の8億円は、現在の貨幣価値にすると40億円にもなるとか」(前同)

 多くのスタッフや俳優を抱える石原プロを守るために、石原はテレビ界に進出することになる。

「裕次郎さんは72年にドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)に出演し、テレビの影響力の大きさを知ります。以後、石原プロ制作のドラマ『大都会』(日本テレビ系)、『西部警察』(テレビ朝日系)をヒットさせ、負債を全額返済しただけでなく、大きな資産を築くことができました」(テレビ局関係者)

■12億の負債を抱えた「勝プロダクション」

 一方、勝も67年に「勝プロダクション」を設立し、映画やドラマの製作に乗り出した。

「製作者としての勝さんは作品の質を重視し、常に採算度外視でした。そして、多額のコストを突っ込んだ80年のドラマ『警視-K』(日本テレビ系)が低視聴率で打ち切りになったことで、勝プロは12億の負債を抱えます」(映画誌記者)

 それでも、勝新はライフスタイルを変えなかった。

「知人を帯同して銀座の高級クラブをハシゴし、勘定の全額を負担する。店のボーイにも1万円札のチップを渡す。そんな勝さんに、惚れ込んだのか、呆れたのか、債権者の一部は取り立てを諦めたといいます」(芸能記者)

 昨年末、13年ぶりに『NHK紅白歌合戦』に出場して話題となったさだまさし(68)も、実は“映画で大借金”のクチだ。

「『関白宣言』などヒット曲の印税を元手に、中国ロケのドキュメンタリー映画『長江』を企画し、自ら監督。ところが、撮影が難航して製作費がかさみ、利子を含めると、借金は35億円になったとされます」(スポーツ紙記者)

 気の遠くなるような金額だが、芸能レポーターの川内天子氏は、当時のさだの様子を、こう話す。

「自己破産せずに30年計画で返済していったんです。その点について取材すると、さださんは“やり遂げると、決めたことですからね”と、ボソッと言っただけでした。執念ですよね……」

 さだは有言実行で、年に100公演以上のコンサートを長年続けることで、借金を完済したのだ。

■“ビッグ”な借金に負けなかった永ちゃん

 事業に絡んだ失敗から大きな借金を背負った芸能人も目立つ。たとえば矢沢永吉(71)が、そうだ。

「オーストラリアのゴールドコーストで、スタジオや音楽スクールが入ったビルの建設事業を任せたところ、関係者に裏切られ、35億円の負債を抱えることになったんです。これは当時、オーストラリア犯罪史上2番目に大きい被害金額でした」(音楽関係者)

 だが、“ビッグ”な借金に、永ちゃんは負けなかった。

「精力的にツアーを回るだけでなく、俳優としてドラマや映画、CMに出演するなどして、わずか6年程度で完済したんです」(前同)

 矢沢と同様、“マイトガイ”小林旭(82)も、本業以外の事業に手を出して大コケしている。

「30代でゴルフ場開発やテレビドラマ制作事業に失敗。当時の債務は10億円以上。そこから『仁義なき戦い』シリーズなどに出演しつつ、歌手としてキャバレー回りをして返済していました」(芸能プロスタッフ)

 そして、その活動が予想外の副産物を生む。

「当時歌っていた『昔の名前で出ています』が夜の街で火がつき、大ヒットに。そのおかげで借金にケリをつけることができたんです」(前同)

 “さすが、マイトガイ”と言いたいところだが、小林はその後、ホテル事業などに手を出し、またも失敗の憂き目に。

「そのときの借金額は当時、億円だと報じられました。しかし、当時は『熱き心に』のヒット後の再ブレイク期であり、高額のギャラで全国を巡ることで、またまた完済できたようです」(同)

■運が強かった芸能界の借金王

 永ちゃん、マイトガイを大きく上回る“芸能界の借金王”が千昌夫(73)だ。

「世界規模で不動産投資を展開していましたが、バブル崩壊で大ピンチに。個人の負債が、3000億円に達した時期もあったはずです」(前出の音楽関係者)

 本人の口から語られることはないが、千は、その借金地獄から逃れることに成功している。

「まず、主な借入先だった日本長期信用銀行が98年に経営破綻して一時、国有化され、公的資金が投入されたことで、負債は軽減されました。その後、千の会社は2000年に負債総額1034億円で破綻しますが、民事再生法の申請を経て、なんと“6年間で1億6000万円を返す”という条件で決着するんです」(同)

 それは、ヒット曲が多数ある有名歌手にとっては、“チャラ”に等しかった。実は、その千昌夫と、『2013年流行語大賞』に選ばれた決めセリフ「今でしょ!」でブレイクした林修(55)は、借金に絡んで、ちょっとした関係がある。林は以前、千に巨額融資をしていた日本長期信用銀行の行員だったのだ。

「バブル期に東大を卒業し、新卒で就職したのが同行でした。だが、内部を知った林は〈この銀行は、いつか潰れる〉と感じ、5か月で退職したと語っています」(テレビ誌記者)

 実際、その予言通りになるのだが……、「林自身もその後、起業に失敗。2000万円の借金を背負ったとトーク番組で話しています」(前同)

 挫折を経験した林は、予備校講師に転身。タレント業も兼ねて大成功した。

■明石家さんまにもピンチが

 前出の川内氏は、明石家さんま(65)にも経済的ピンチがあったと話す。

大竹しのぶさんと夫婦だった頃に9億円の豪邸を建てますが、1年後に離婚。バブル崩壊で家の売却価格が3億に下落したため、6億の借金になります」

 その窮地を、さんまは、どう切り抜けたのか?

「借金を抱えながら〈死ぬか、しゃべるかしかないなあ〉と言って、しゃべるほうを選んだんです」(前同)

 しゃべり続けて、いくつもの番組を成功させ、完済に至ったのだ。

 さんまと並ぶモテ男の石田純一(67)も、借金に苦しんだ時期がある。

「96年の不倫騒動で仕事が激減したあとも、ぜいたく暮らしをやめず、一時は8000万円の負債があったそうです」(芸能関係者)

 そこで石田は開き直り、不倫ネタでバラエティ番組に出るようになる。

「同時に、企業などのイベント出演に活路を見出したんです。1回100万円でも、年に100回で1億円になりますから」(川内氏)

 石田は、すでに借金は返済しているという。借金に負けないバイタリティこそ、芸能界で活躍できるスターの条件なのかも!?

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