迷信?はたまた先人の知恵?日本で大流行したあの疫病と「赤色」の奇妙で不思議な関係

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迷信?はたまた先人の知恵?日本で大流行したあの疫病と「赤色」の奇妙で不思議な関係

コロナ禍の中で、疫病除けの妖怪アマビエが流行したのは記憶に新しいところです。アマビエ様はいわゆる超自然的な存在。そうした存在のご利益にあずかろうとするのは、言ってみれば「おまじない」です。

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しかし、もともと日本の医療と「おまじない」には密接な関係がありました。医学や科学が現在ほど発展していなかった昔は、病気や怪我をしてもおまじないや迷信に頼るしかないようなところもありました。

そこで、それらのおまじないの中でも、今回は疫病と「赤色」との関係について書いてみたいと思います。

強力な霊力を持つ「赤」

もともと、赤い色は昔の呪術では欠かせない色でした。赤に限らず、「色」そのものが、邪悪なものを祓ってくれる霊力を持っていると信じられていたのです。そして、神聖で強い色ほどその効果は高いと考えられていました。これは日本に限らず、世界各地でも共通した考え方です。

そして、特に強力な霊力を持つとされていた色が「赤」です。

昔の人々にとって、赤色は「火」「日」そして「血」を象徴するものでした。この三つはそれぞれ神聖なものであると同時に、密接なつながりがあると考えられていました。

「火」と「日」のつながりはなんとなくイメージが湧きますが、「血」についてはどうでしょうか。例えば『日本書紀』では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が軻遇突智命(かぐつちのみこと)を斬った際、血が石や草木に付着し、これが「火」を発するもとになったとあります。

またつい最近まで、地方によっては血縁者を「火を喰う者」と呼んだり、女性の月経が止まることを「火止まり」と呼ぶ風習があったようです。

このように、古代日本においては、血・火・日はイメージ上の強い結びつきがありました。

余談ですが、太陽つまり「日」の色を「赤」と見る民族は珍しいようです。西欧では太陽の色は「黄」と見られており、日本人は太陽信仰の影響から「日」と赤い色を結び付けてイメージしたのかも知れません。

さて、かつての日本で大流行した疫病の中でも、何よりもこの霊験あらたかな赤色が効くと信じられていたものがあります。

それは「疱瘡(ほうそう)」です。

皆さんは、疱瘡はご存じでしょうか。「天然痘」の呼び名の方がピンとくる方も多いかも知れません。

これは紀元前の時代から知られていた疫病で、感染力が強く致死率も大変高い病気でした。たとえ治癒しても顔面に一生「あばた」が残ったり失明することもあるという恐ろしさで、やっと世界からこの病気が根絶されたのは1980年のことでした。現在でも、日本では指定難病のひとつとされています。

日本で最初の疱瘡が発生したのは天平7年(735年)とされています。その後も中世や、18世紀頃に何度も流行したといいます。

私たちの先祖は、この疱瘡が流行すると、感染を避ける方法や、万が一罹患した場合にどうすれば軽症で済ませられるかについて頭を悩ませていました。

日本では「疱瘡神」に取りつかれることで疱瘡に罹ると信じられていました。この疱瘡神は赤い色をしており、赤を好む神だと思われていたそうです。おそらく、疱瘡による発疹の色からイメージしたのでしょう。

Wikipedia「疱瘡神」より月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「為朝の武威痘鬼神を退く図」

このため、子供のおもちゃを赤色にしておくことで疱瘡神の気をそらしたり、万が一罹患した場合は患者を赤い蚊帳の中で寝かせるなどして周囲を赤色で統一し、さらに赤飯に赤い鯛を添えたものを食べさせたりしていたそうです。また看病する者も赤い服を着たりしました。

伊豆半島では源為朝(鎮西八郎)が疱瘡神を退治したため疱瘡が流行しなかったという伝説があり、疱瘡神が寄りつかないよう家の戸口に「鎮西八郎為朝御宿」と朱書した紙を貼ったり、あるいは祟り除けの赤い幣を立てたりしました。

このほか、赤い紙で作った人形や達磨、赤い頭巾や手ぬぐいなどなど、赤色のアイテムが「疱瘡除け」に用いられた話は、全国的にも枚挙にいとまがありません。

以上は民間信仰レベルでの話ですが、さらに村のお祭りなどでのレベルでも、疱瘡除けの赤色はよく用いられました。

長野県の若宮八幡社には金毘羅様と並んで、赤く塗られた疱瘡神の社殿があります。その周辺地域では、正月にまつるしめ縄を、半分ほど赤く塗る風習が長く続いていたとか。

また、民間信仰やお祭りなどにとどまらず、赤色が持つ霊力を表現した芸術品もあります。江戸時代末期に登場した「疱瘡絵(赤物)」です。

これは疱瘡にかかってしまった子供を慰めるために、お見舞い用などで作られたもので、回復すると焼いたり川に流したりしたそうです。

疱瘡絵によく描かれたのが、先述した鎮西八郎為朝や、中国の故事に登場する「鐘馗(しょうき)」、また同じく中国の幻獣である「猩々(しょうじょう)」などでした。現存する疱瘡絵の多くは赤色で描かれており、また猩々そのものも全身が朱色の長い毛で覆われているとされています。

「赤色」に秘められた不思議

もちろん、こうした「赤色による病魔退散」のイメージは、科学と医学が進歩した現代から見れば迷信以外の何物でもありません。ただ、歴史の不思議なところで、そうした迷信には、実は意外な効果を持つものもあったようです。

例えば、先に挙げた、疱瘡の患者の周囲を赤色ずくめにする治療法(おまじない?)は、紫外線を遮って皮膚の炎症を抑えるという意味ではあながち馬鹿にできません。

また、古墳時代の墳墓では、古墳内部の石室の内側や棺などに、赤色の顔料(朱)が大量に用いられていました。呪術的意味合いもあったと思われますが、この顔料には水銀が含まれていたことから、防腐剤としての効果もあったようです。

古今東西の遺物や遺跡を見ると、昔の人が、今では考えられないような高度な知識を持っていたかのような痕跡に驚かされることがありますね。現代のような科学的知識が無いはずなのに、「当時の人はどこまで知っていてやっていたんだろう?」と不思議になります。

今回は特に日本の例のみを挙げましたが、赤色をはじめとする数々の「色」が霊的な力を宿しているとして医療に用いられた例は、世界史的に見ても数え切れないほどたくさんあります。

「色そのものが病気や怪我を治してくれる」という考え方は、今では迷信のようなものです。しかし、私たち人間が時代や国境を越えて、「色」に対する共通の感じ方やイメージを持っているというのは事実です。よく考えてみると、それ自体が神秘的で不思議なことです。

今では迷信として切り捨てがちな数々のおまじないの中にも、実は現代人がまだ知らない先人の知恵や、秘められた「不思議」が隠れているかも知れません。

参考資料
長崎盛輝『色・彩飾の日本史 日本人はいかに色に生きてきたか』(平成2年、淡交社)
畑中章宏「感染症と赤のフォークロアー民俗学者 畑中章宏の語る「疫病芸術論」の試み」

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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