実は繊細で意外と惚れっぽい?文豪・芥川龍之介が愛した5人の女性とのエピソード【後編】

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実は繊細で意外と惚れっぽい?文豪・芥川龍之介が愛した5人の女性とのエピソード【後編】

日本を代表する作家「芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)」には、彼の創作活動に影響を及ぼしたであろう女性達との恋愛関係があった。

芥川龍之介

今回は、【前編】に続き芥川が愛した5人の女性をご紹介する

前編の記事はこちら

実は繊細で意外と惚れっぽい?文豪・芥川龍之介が愛した5人の女性とのエピソード【前編】

3人目・塚本文

後に芥川の妻となる女性である。叔父である山本喜誉司(やまもときよし)が、中学時代に芥川の親友であったことが縁で知り合う。この時も芥川は結婚までに熱烈な恋文を何通も送った。

懇意になった時期は明確ではないが、1916年には婚約契約を交わしていたとされる。1919年3月。芥川の大阪毎日新聞社入社を契機に結婚。新居は鎌倉に構えた。

4人目・秀しげ子

歌人であり人妻であった秀しげ子との出会いは不明だが、歌人と作家という職業から想像するに、仕事関係の会合や催事の席で出会ったのかもしれない。お互い既婚者であり不倫関係であった。

しげ子は産んだ子供の父親が芥川だと主張したといわれるが、事実関係は定かでない。2人の関係は一過性のもので、芥川が海外査察員として中国へ旅立った事で終息したという。

5人目・片山廣子

芥川と恋仲にあったとされる片山廣子(Wikipediaより)

歌人・随筆家・翻訳家として活躍した廣子と芥川が出会ったのは1924年のこと。廣子の夫が死亡した4年後の軽井沢であった。

手紙のやりとりによって親交を深めた2人は東京でも会っていたという。芥川の作品「或阿呆の一生」には廣子がモデルと思われる女性が登場している。

晩年と死

妻である文は文学の知識に疎く、晩年の芥川は自身の文学感を共有できる相手を欲していたといわれる。1921年頃から心身の衰弱が見られ、作風も死生観や社会風刺を主題とした私小説的作品へと転換していった。

1927年7月。服毒自殺。享年35。芥川が関係を持った女性達は、彼の作品に度々登場している。数々の傑作短編を残した功績の裏には、創作欲を掻き立てる女性達の存在があった。

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