徳川家康に嫌われていた?他家を養子として転々とした家康の次男・結城秀康の複雑な人生 (2/4ページ)
さらには、顔がギギという魚に似ているからということで、幼名は「於義丸(おぎまる)」と名付けられました。
なぜ、ここまで冷遇されていたのかというと正室の嫉妬が原因でした。
秀康の母である於万の方(おまんのかた)は家康の正室、築山殿(つきやまどの)に仕えていた侍女。
家康は築山殿の侍女で子を産んだことが知られると、嫉妬深い築山殿が何をしでかすかわからないから、先のような態度をとったと考えられます。
加えて於万の方の身分が低かったことも要因としてあります。
また秀康は双子で生まれた説もあり、当時の双子は一度に複数の子を産むのは動物と同じということでよく思われていませんでした。
そのこともあり、秀康は家康から冷遇されていました。
ちなみに秀康の双子とされる人物は、永見貞愛(ながみ-さだちか)で愛知県知立市にある知立神社の神主となっています。
他家を養子として転々する家康から冷遇された秀康は、天正12年(1584)に起きた小牧・長久手の戦いでの和睦条件として豊臣秀吉の養子となります。