徳川家康に嫌われていた?他家を養子として転々とした家康の次男・結城秀康の複雑な人生 (3/4ページ)
この前の天正7年(1579)に秀康の兄、信康は亡くなっていましたが、当初から跡継ぎは三河国の名家生まれの秀忠と決まっていました。
身分の低さが仇となり秀吉の養子となりましたが、羽柴姓や豊臣姓をもらう好待遇を受けていました。
しかし、秀吉の子である鶴松が生まれると事態は一変することになります。
秀吉は後継者を鶴松に指名すると、天正18年(1590)に秀康を結城晴朝(北関東の大名)の養子としました。
晴朝には子がいなかったため他家から養子をもらっていましたが、秀吉に接近することを目的に養子を排していました。
また、家康が関東に移封されていたので、親子で関東を見てほしいと秀吉なりの気遣いがあったとも考えられます。
徳川一門としてやがて関ヶ原の戦いが起こると、秀康は上杉氏の抑えとして出陣します。