海辺の漂着物は誰のもの?オレのもの!中世日本の荒っぽい習慣「寄物」とは
♪美(うるわ)しき桜貝一つ 去り行ける君にささげん
この貝は去年(こぞ)の浜辺に われ一人拾いし貝よ……♪
※土屋花情 作詞「さくら貝の歌」より。
鎌倉の浜辺を歩いていると、時おり桜貝を見つけることがあります。他にも陶磁器の破片や馬の骨と言った日宋交易(10~13世紀)の名残やビーチグラス(海水や砂で丸くなったガラス片)など、ロマンあふれる宝物も発見できます。
そこで最近はビーチコーミング(漂着物蒐集)も人気ですが、厳密に言えば漂着物の所有権は所有者にあり、勝手に持ち帰れば遺失物等横領罪(刑法第254条)に問われる可能性があります。
とは言うものの、金銭的価値や所有権の事実が明らかでなければ大目に見られることがほとんどで、わざわざ取り返そうと争った話は聞いたことがありません。
一方中世の日本では、海に流れ着いたものを拾った場合、堂々と自分の所有権を主張できたそうで、この習慣を「寄物(よりもの)」と呼び、臨時収入源としていたそうです。
そこで今回は、この「寄物」にまつわるエピソードを紹介したいと思います。
取り締まり切れなかった「寄物」略奪時は鎌倉時代の寛喜3年(1231年)6月、鎌倉幕府が「海路往反(かいろおうへん。往来)の船の事」として、こんな法令を出しました。
【意訳】全国の地頭 各位
難破した船舶およびその積み荷等を「寄物」として略奪することを禁止する。
いくら(地頭や沿岸住民の役得として)先例があると言っても、人々が嘆き苦しんでいる以上、無道の振る舞いを認める訳にはいかない云々……。
地頭や沿岸住民にしてみれば、難破船の残骸を片づける手間賃がわりと思っていたのかも知れませんが、中には「寄物を目当てに、わざと船舶を難破させる」悪質な者たちも横行していたそうです。
よくある手口としては、夜間に篝火をたくなどして港があるように見せかけ、土地勘(水先勘?)のない船舶を浅瀬や暗礁に誘い込んで難破させ、そのまま略奪してしまうというもの。
ひどい事例になると、積み荷だけでなく乗り組んでいる人々を捕らえて奴隷に売り飛ばしたり、船舶をバラして材木にしてしまったりする手合いもいたと言います。
「悪いのは俺たちじゃなくて、難破する間抜けの方さ。ヤツらが出した海洋ゴミも片づけてやっているんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだぜ!」
とまで言い放ったかどうかはともかく、鎌倉幕府の禁令にもかかわらず「寄物」の習慣はなくならず、江戸時代になっても「わざと難破させるのはダメ(意訳。『徳川禁令考』より)」と言うばかりで、略奪自体は取り締まり切れなかったようです。

平和に見えても、油断は禁物。渓斎英泉「江戸八景 芝浦の帰帆」より。
あるいは「そのくらいは見逃してやらないと不満が暴発しかねないから、当局にさえ実害がなければいいか」と思っていたのかも知れませんね。
民が民なら、お役人もお役人……「海の幸」と一口に言っても、その恩恵を受ける側か、奪われる側か、昔の航海は現代以上に気が抜けなかったことでしょう。
※参考文献:
繫田信一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文春新書、2020年10月
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