想う相手はただひとり…精神的つながりも重んじる命をかけた武士同士の愛「衆道」【前編】 (3/3ページ)
義満は、絶対的権力者でありながらこの点に関する限り、大いに批判をされたと伝わります。
たとえば、内大臣になった貴族の三条公忠(さんじょうきんただ)は、世阿弥のことを「散楽もの」で「乞食の所業をするもの」であると手厳しい表現で 日記にしたためていました。
将軍などに寵愛を受け男色の相手をすることは、才能がありながらも身分の低さに甘んじざるおえない人びとにとっては、出世や庇護を受けるための手段であったといわれています。
そして、江戸時代に入ると、武士特有の男色文化「衆道」が本格化。衆道とは、どのようなものだったのでしょうか。
【後編】でご紹介します。
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