古代日本の大決戦!なぜ白村江が「はくすきのえ」と呼ばれていたのか、諸説を紹介

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古代日本の大決戦!なぜ白村江が「はくすきのえ」と呼ばれていたのか、諸説を紹介

最近、こんなネタを耳にしました。

白村江(※)、を何と読むかで年代が分かる」

昭和生まれの筆者は、白村江は「はくすきのえ」と習いましたが、最近では「はくそんこう」と読ませているとのこと。

白村江の戦い。Wikipedia(画像:Stillskywkpd氏)より。

(※)白村江の戦い……天智天皇2年(663年)8月、日本が朝鮮半島の百済(くだら)国を再興するべく、同じ朝鮮半島の新羅(しらぎ)国&中国大陸の唐(とう)王朝を相手どり、敗れてしまった戦い。

確かに「はく(音読み)+すき(訓読み?)+の・え(訓読み)」よりも「はく+そん+こう(すべて音読み)」の方が読みに一貫性があって学校現場では教えやすいのでしょうが、こういう独特な言葉の味わいが失われてしまうのは少し寂しく思います。

ところで、「はく」と「のえ」は分かりますが、村を「すき」という読み方はあるのでしょうか。漢字辞典には見当たらないようですが……。

「すき」は日本語?それとも漢語?

村という字を「むら」「ソン」以外で読むパターンを調べてみたら、そういえば村主(すぐり、すくり)という苗字がありました。

調べてみると、古代朝鮮語で村を意味するsu-kur(スクル)に由来するそうで、「すく+のえ(江)」の音が訛って「すきのえ」になったものと考えられます。

他の説では、戦場となった白江(現:錦江)の河口の洲(す。島)に城(き。城柵)があり、「白江+洲(す)+城(き)」が縮まった「はくすき」に沿岸を意味する「江」を加えて「はくすきのえ」となったと言います。

似たような説に、その城柵が白村(はくそん)という名で「はくそんき(白村城)の江」が訛って「はくすきのえ」になったとも言われています。

百済の再興と日本の命運を賭けた白村江の決戦(イメージ)。

とりあえず3つの説を言語別に分割すると、以下のようになります。

1つ目「はく(白。漢語)+すき(村。朝鮮語)+のえ(江。日本語)」
2つ目「はく(白。漢語)+すきのえ(洲城江。日本語)」
3つ目「はくす(白村。漢語)+きのえ(城江。日本語)」

どの説も「はく(白)」は漢語(朝鮮語の可能性も)、「のえ(江)」は日本語ですが、「すき」は朝鮮語だったり日本語だったり、あるいは漢語(す)+日本語(き)の組み合わせだったり、さまざまな可能性が興味深いですね。

こうした解釈に諸説ある曖昧さを嫌って「すべて音読みなら文句なかろう」とばかりにオール音読みにしてしまう合理性も解らなくはありませんが、先人たちが呼び習わしてきた名前の味わいを、次世代にも伝えていきたいものです。

※参考文献:
鈴木治『白村江 古代日本の敗戦と薬師寺の謎』学生社、1999年1月
中村修也『天智朝とアジア 唐の支配から律令国家へ』NHK出版、2015年10月
平凡社『改訂新版 世界大百科事典』平凡社、2007年9月

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