大正〜昭和初期にマルチな才能で活躍した「小村雪岱」の洗練されたモダニズム

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大正〜昭和初期にマルチな才能で活躍した「小村雪岱」の洗練されたモダニズム

「小村雪岱(こむらせったい)」という画家をご存知ですか?

大正から昭和初期まで日本画家・版画家・挿絵画家・装丁家、そして舞台背景までも手掛け活躍された画家です。

今回は挿絵画家としての「小村雪岱」の作品を中心にご覧いただきたいと思います。

新聞小説挿絵群 おせん おせん 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

おせん 画:小村雪岱

上掲の絵は『東京日日新聞』に昭和8(1933)年に国枝完二が連載した『おせん』に小村雪岱が寄せた挿絵の中の一枚です。

この『おせん』という新聞小説は、あの「鈴木春信」が好んで浮世絵に描いた笠森稲荷の水茶屋で働いていた看板娘「笠森お仙」を題材にした新聞小説です。

おせん 傘 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

おせん 傘 画:小村雪岱

新聞小説『おせん』は、鈴木春信にモデルにされるほど美しい少女である“おせん”。それ故に“おせん”に近づこうとする男達の中には、度を越してまでしつこくつきまとう者さえおりました。しかし実は“おせん”には幼い頃から大事に思う人がいたのですが・・・といった内容です。

おせん 画:小村雪岱 国立国会図書館デジタルコレクションより

おせん 画:小村雪岱 国立国会図書館デジタルコレクションより

どの線も一本も無駄な線は描かれていない、けれど揺れ動く心情が全て描かれていると言ってもいい絵ではないでしょうか。

お傅地獄 お傳地獄 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

お傳地獄 画:小村雪岱

上掲の絵は『読売新聞』に昭和9年から国枝完二により連載された、新聞小説『お傳地獄』に掲載された小村雪岱の挿絵です。

この『お傳地獄』は「高橋お伝」という実在の女性が起こした事件をもとにして書かれたものです。

「お傅」は夫が皮膚の病にかかり名医を訪ねて横浜へと移り住むのですが、やがて夫は病死してしまいます。手持ちのお金はすぐに底をつき「お傅」は体を売ってお金を得るようになります。やがてある男が夫婦になれば金は用立ててやるということになり、その男と同衾した翌日男は金を払わないと言いだし、腹を立てた「お傅」はその男を殺してしまい・・・といった内容です。

お傳地獄 その2 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

お傳地獄 その2 画:小村雪岱

鏡に写した“お傅”の顔。このなんとも言い難い表情はどうでしょう。

「この挿絵を描いた小村雪岱とはウマが合い、『あれだけわたしの作品を理解して、江戸の女を描いてくれる人は、今後二人と出るまいと思っている」邦枝完二『名作挿画全集』平凡社

上記に述べているように邦枝完二と小村雪岱のコンビは小村雪岱が亡くなるまで続き、その画風は『雪岱調』とも呼ばれました。

邦枝完二新聞小説の挿絵(その他) 喧嘩鳶 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

喧嘩鳶 画:小村雪岱

喧嘩鳶2 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

喧嘩鳶2 画:小村雪岱

旗本伝法 画:小村雪岱 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

旗本伝法 画:小村雪岱

細鋭な線とベタ(黒塗り)で描かれる絵のバランスの素晴らしさは、悲しさややるせなさといった人間の感情を静かにそして荒々しく描き出しているように思えます。

お傅地獄の色刷絵 お傳地獄 屏風 画:小村雪岱[版画芸術146号] 出典:600dpiパブリックドメイン美術館より

お傳地獄 屏風 画:小村雪岱[版画芸術146号]

浪之助「お伝」
伝「え」
浪之助「もっとこっちへ寄ンねえ」
伝「あい」
浪之助「おめえ夜っぴて俥で帰(けえ)って来た上に、あんな騒ぎをやったんで、
くたびれたろう」
・・・

お傳地獄 傘 画:小村雪岱[版画芸術146号] 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

お傳地獄 傘 画:小村雪岱[版画芸術146号]

市「お伝」
伝「あい」
市「おれ、どうでも気が済まねえかえら、やっぱりおめえは先へ帰(けえ)ンねえ」
伝「あたしを帰してお前さん、どこぞへ行く気じゃないのかえ」

・・・

上掲の2点の絵、背景にセリフが書き込まれているのがお分かりでしょうか。絵の下記にその一部を記してみました。

これは新聞小説『お傅地獄』の挿絵の何点かを色刷りし、新聞記事上では余白になっていた部分に小説の中のセリフを描き込んだものだと思われます。

この絵の色合いそして人物の居ずまい等々が既にそれだけで素晴らしい作品として完成しているものに、更に“文字”を描きこもうという発想自体が今で言う高度な“グラフィックデザイン”の感覚を感じさせます。

小村雪岱は5歳の頃、両親をなくし親戚を転々とした末に叔母の世話で日本橋檜物町に住む“書家”の安並賢輔の学僕となり後に養子となりました。多感な時代を「書」に接していたということは雪岱に大きな影響を与えたでしょう。

27歳の頃、小村雪岱は創設間もない「資生堂意匠部」に在籍し、装幀や雑誌そして和文ロゴタイプの作成に携わり、後に「雪岱文字」と言われるタイポグラフィを生み出しました。

風景画 青柳 画:小村雪岱[版画芸術 146号より] 出典:600dpiパブリックドメイン美術館

青柳 画:小村雪岱[版画芸術 146号より]

上掲の作品を“風景画”というカテゴリーに加えることに迷いがありました。なぜかというとこの作品には“静物画”のような佇まいがあります。

一枚一枚丁寧に書かれた屋根の瓦。そして家に降りかかるように青柳が枝を垂らしています。その新緑のような色の清潔な青畳の中央に整然と並んでいる三味線と鼓が二つ。

確かに誰かがここに居たのだという気配を感じさせながら、ただ静かな時間だけが切り取られているようでもあります。

小村雪岱が15歳の頃に住んでいた“日本橋檜物町”は江戸時代から戦後まで一帯に花街が広がっているような場所でした。日本髪に着物姿の花柳界の女性や江戸の雰囲気が多少なりとも残っていたであろう町で育ったことも、小村雪岱の画風に関係があるとも考えられます。

このような景色も小村雪岱にとっては珍しい場所ではなかったのかもしれません。

まとめ

今回紹介した「小村雪岱」の作品は数多くある作品の一部に過ぎません。数々の傑作をあらゆる角度から企画した【特別展 小村雪岱スタイルー江戸の粋から東京モダンへー】という美術展が三井記念美術館で2021/2/6(金)~2021/4/18(日)まで開催されています。

評価されるに遅すぎたと思われる「小村雪岱」氏の作品を是非その目でご覧になり感じいただければと思います。

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