「オフィーリア」と「甘粕正彦」にみる残酷な死から表現される美しさ

心に残る家族葬

「オフィーリア」と「甘粕正彦」にみる残酷な死から表現される美しさ

死は恐ろしい。死は忌避され、「穢れ」ともされてきた。その一方で残酷な死に様が描かれた文学や芸術作品に美しさを見出すことがある。死に美しさを感じるとはどういうことか。

■「オフィーリア」を描いたジョン=エヴァレット=ミレイ

ジョン=エヴァレット=ミレイ(1829〜96)は19世紀イギリスの代表的な画家のひとりである。かなり大胆に作風が変わる人で、時代共にまるでコンセプトが違う。美術展で肖像画が何枚も並んでいたりすると大抵は飽きてくるものである。歴史的著名人ならまだしもモデルのほとんどはパトロンの貴族とその家族だったりするので、余程の筆致でなければ足を止めることは難しい。しかしミレイは時代で様相が異なるため平坦になりやすい肖像画にも新鮮な印象を受ける。そのミレイが描いた魅惑の「死と美」が「オフィーリア」である。

■「オフィーリア」の死と美

ミレイの代表作といえる絵画が「オフィーリア」である。シェイクスピア(1564〜1616)の「ハムレット」をモチーフに描いたもので、ミレイ中期の作品である。宰相の娘・オフィーリアは愛する王子・ハムレットに拒否され、そのハムレットに父を殺されるなど、度重なる悲劇に見舞われ狂気に陥った。そして小川で溺死してしまう悲劇的な最期を遂げる。その時の様子は直接の描写はされず、王妃によって語られた。この作品は彼女が川に溺れてしまう前に、歌を口ずさんでいる姿を描いているとされている。シェイクスピアは王妃にオフィーリアの死を叙情的に語らせている。

「すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になずんだ生物さながら。
ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、美しい歌声をもぎとるように、あの憐れな牲えを、川底の泥のなかにひきずりこんでしまって。それきり、あとには何も。」

ミレイが描いたのはまさにこの情景である。オフィーリアの虚ろな表情と、彼女を囲む情景は色彩豊かで恐れを抱くほどに美しい。描かれている植物にも意味があり、ケシの花言葉は「死と眠り」を暗示している。ミレイはこの作品から画風が変わっていくのだが、ここまで到達してしまうと、異なる筆致に変更せざるをえないだろうと思わせる。溺死寸前の精神を病んだ女性という、本来なら目を背けんばかりの惨状であるにも関わらず、観る者は感動を禁じえない。

■夏目漱石が語った「オフィーリア」とは

夏目漱石(1867〜1916)も小説「草枕」で「オフィーリア」についてこのように語る。

「余が平生から苦にして居た、ミレーのオフェリヤも、かう観察すると大分美しくなる。
何であんな不愉快な所を択んだものかと今迄不審に思つて居たが、あれは矢張り画になるのだ」

「余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい」

風流な土左衛門とは中々の表現であるが、死が忌避の対象であると共に魅惑的な響きがあるのは否定できない。オフィーリアは美しいまま死んだ。彼女の美は衰えることはない。死はその人の時間を止める。死は全ての終わりと同時に永遠でもある不可思議なものである。

この奇妙な反転のロジックも、現実の死体を見ると目が覚めることだろう。オフィーリアのごとき死体をリアルで見れば、腐食し魚に啄まれ、無残な姿であることは間違いない。しかし、何かが不滅なものとして残ることもまた事実だ。 死という究極の恐怖を永遠の美へ昇華させる高貴な行為が文学や絵画なのだ。人間とは脆く弱いと共に、したたかで強いものでもある。


■「甘粕正彦」と「オフィーリア」

筆者は「オフィーリア」に見られる美と同じ性質のものを、丸尾末広の「新英名二十八衆句」の一作「甘粕正彦」に見ることができる。

江戸時代末期から明治に描かれた「無残絵」という浮世絵の分野がある。芝居における残酷なシーンなどがモチーフで「血みどろ絵」、「残酷絵」などとも呼ばれるショッキングでグロテスクな世界が展開されている。落合芳幾(1833〜1904)と月岡芳年(1839〜92)による「英名二十八衆句」は「無残絵」の代名詞と言うべき作品群であるが、その現代版を鬼才・丸尾末広と花輪和一が「新英名二十八衆句」として描いた画集が「新英名二十八衆句」である。血まみれの現代版「無残絵」画集は、本家に劣らぬグロテスクさなので、無闇に検索することはお勧めしないが、その色彩の美しさに惹かれる人は多い。下手な人間が描けば醜悪そのものであろう情景が、丸尾・花輪という鬼才が描くとかくも残酷で美しい世界になる。その中で特に人気が高いのが丸尾の「甘粕正彦」である。

■「無残絵」の血と美

描かれているのは「甘粕事件」(注)の首謀者とされる甘粕正彦(1891〜1945)が、惨殺した直後であろう血まみれの伊藤野枝(1895〜1923)を後ろから日本刀で突き刺している一幕。甘粕の足元にすがりついている大杉栄(1885〜1923)の、甘粕の端正な顔立ちと対照的な間の抜けた顔が、この無残な情景に可笑しみを添えている。凛とした美しさの「オフィーリア」とは一見真逆の「無残絵」だが、伊藤の虚ろな死に顔が「オフィーリア」と共通していると感じる。真逆といったが「オフィーリア」もまた無残な運命の末路である。潔くも気高くもない、ただただ無残な死体。そこから美しさを引き出す芸術性は古今東西共通のようである。

注:1923年(大正12年)9月16日、無政府主義者・大杉栄、内縁の妻で作家・運動家の伊藤野枝、大杉の6歳の甥が、憲兵大尉・甘粕正彦らによって連行され、その後憲兵らによって絞殺された事件。

■永遠に未知なる「死」

死を美化して描くこと、死の描写に美しさを感じる心性は、恐れの裏返しなのかもしれない。結局のところ、生きている我々は永遠に死を知ることはできない(死後意識があればそれは「死」ではない)。未知なるものには、不安と好奇心が、恐怖と憧れが同居する。死と美の関係には、我々の死に対する複雑な思いが見えてくるのである。

■参考資料

■ウィリアム・シェイクスピア著/福田恆存訳「ハムレット」新潮文庫(1967)
■夏目漱石「草枕」新潮文庫(2005)
■丸尾末広/花輪和一「無惨絵 新英名二十八衆句」エンターブレイン(2012)

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