老人の繰り言と侮るな!武士道のバイブル『葉隠』が説いた、経験を伴う言葉の重み

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老人の繰り言と侮るな!武士道のバイブル『葉隠』が説いた、経験を伴う言葉の重み

……とかく老人というものは繰り言(くりごと)が多く、若者たちから疎まれがちです(もちろん例外もありますが)。

「お爺ちゃん、そんなことくらい知ってるよ」

「お婆ちゃん、その話はもう聞き飽きたよ」

「近ごろの若いモンはのぅ……」「爺さん、もう勘弁してくれよ!」

しかし彼らも伊達に年齢を重ねてきたわけではなく、自分たちが何十年の人生で獲得し、培ってきた知恵を次世代に伝えることで、間もなく死んでいく自分たちの「生きた証」を世に遺そうと必死なのです。

同じ物事であっても、ただ情報として「知っている」ことと、その奥に含まれた意味まで「解っている」こととは大きく異なり、人生の知恵として活かせなければ、せっかくの知識も脳みその肥やしに過ぎません。

知識は経験を伴うことで、初めて人生の知恵となる……だから老人の繰り言も馬鹿にしてはいけない……今回は江戸時代、武士道のバイブルとされた『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、そんな教訓を紹介したいと思います。

経験を伴った言葉の重み

一三四 巧者の咄(はなし)等聞く時、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰して聞くべきなり。同じ事を十度も二十度も聞くに、不図(ふと)胸に請け取る時節あり。その時は格別のものになるなり。老の繰言と云ふも巧者なる事なりと。
※『葉隠』第二巻より。

【意訳】
ベテランの話などを聞く時、たとえ自分が知っていることでも馬鹿にせず聞くべきである。同じことを10回も20回も聞いているうち、あるタイミングで内容が腑に落ちて、深く理解できるようになるからである。老人の繰り言もこの類である。

聞いている(聞かされる)側としてみれば似たような話であっても、話すたび少しずつ切り口が変わっているもので、1回2回ではピンと来なくても、何度も繰り返し聞くうちに内容が理解できたり、後から自分の経験を通して実感できたりすることもあります。

古来「親爺(おやじ)の小言と冷酒(ひやざけ)は後で効く」と言いますが、若い内は「一度聞けば覚えられる」情報に過ぎない知識でも、年齢を重ね経験を積んでいく内、

「あぁ……あの時、親爺が言っていたのは、こういう事だったのか!」

古来、多くの武士たちが血を流して得た教訓は、理屈ではなく、同じ死線を潜り抜けてこそ体得できた(イメージ)。

と腑に落ちて、今後の人生に活かせる知恵を体得できるかも知れません。こと戦さ場で命を懸けた武士なればこそ、血を流して得られた教訓は、現代人には想像もつかないほどの重みをもって伝えられたことでしょう。

終わりに

……と、『葉隠』の作者(口述者)である山本常朝(やまもと じょうちょう)は伝えているのですが、実はこの『葉隠』にも、似たような内容・エピソードがちょくちょく出てきます。

※参考:例えばこんなエピソード。他のテーマでも散見される。

過ちに対する意見を聞き入れてもらうには?武士道のバイブル『葉隠』が示した人間関係のコツ

武士も人間関係に一苦労?武士道のバイブル「葉隠」に書かれた他人の欠点改善ノウハウを紹介

「あの、先生……さっきから似たようなお話しが何度か……」

常朝の繰り言に、ちょっと辟易しつつある?陣基(イメージ)。

もしかしたら、常朝の話を書き取っていた田代陣基(たしろ つらもと)が指摘したことに対して、常朝が「う、うるさいっ!似たような話でも、繰り返すことに意味があるのじゃ!いいから黙って聞け!」など逆ギレ?したのかも知れませんね。

※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月

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