豊臣秀吉が明智光秀を討つために決行した「中国大返し」は本当に速かったのか? (2/2ページ)

Japaaan

例えば一日8時間で移動すると計算すると、時速3.5km。

あれ?これって・・・普通に歩く速度と変わらないのでは・・・。

そう、実は大返しのスピードは、普通の歩行速度と同じだったのです!

現代で行うとしたら、午前と午後、2回にわけてお昼休憩1時間を挟むとして、8時に出発して17時には終わる計算になります。

しかし、連日30km近くを歩くのは、現代人じゃなくても相当疲れるものだと思います。毎日きっちり管理された距離を歩いたわけでもありません。しか2万人の軍勢です。

ここで行程をみてみます。


6月6日 高松出発(高松城-沼城間22 km)
6月6日 沼城(沼城-姫路城間70 km)
6月7か8日 姫路城に帰還
6月9日未明 姫路出発(姫路城-明石間35 km)
6月9日 明石到着(明石-兵庫間18 km)
6月10日 兵庫到着(兵庫-尼崎間26 km)
6月11日朝 尼崎到着
6月11日夜 尼崎出発(尼崎-富田間23 km)
6月12日 富田到着(富田-山崎間6 km)
6月13日 山崎到着

一番きついのは、毛利の包囲をやめてすぐに姫路城に帰還した70kmの移動ですね。しかもこの「大返し」中はずっと天候がすぐれず、雨か大雨だったことが判明しています。

2万人といえばだいたい、「秩父宮ラグビー場」がやや満席になる規模の人数です。

凄いのは、隊を分けて移動したとしても、2万人の食料や野営地を確保しながら移動したことでしょう。しかし結果的に、中国大返しは神業!とまで大げさなものではなかったようですね。

参考文献:『科学でツッコむ日本の歴史~だから教科書にのらなかった』

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