クラファンも残り3日となりました。茨城が誇るさしま茶を生活のお供にして、コロナ禍を乗り越えよう♪ (3/5ページ)
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クラウドファンディング
さしま茶の故郷は茨城県西部、かつての下総国(しもうさのくに )。
“坂東太郎”の愛称で親しまれている利根川流域の猿島(さしま)台地が生んだ、古河、坂東、常総、八千代、境の3市2町の誇り「さしま茶」。肥沃な土地に育まれた濃厚な香り、コク味は特筆すべき逸品。
水運要衝の地に生まれた銘茶として、その多くが江戸に運ばれ、さしま茶は下総国の名産として、多くの人々に親しまれてきました。
そして、黒船が来航し混乱の只中にあった江戸時代末期に、国内で初となるお茶の輸出に成功したのがさしま茶でした。
さしま茶の産地は関東地方のほぼ中央に位置し、日光連山を源とする鬼怒川と利根川に挟まれた茨城県西部地域3市(古河市・坂東市・常総市)2町(八千代町・境町)からなっています。
土壌は火山灰性洪積で、気候は年平均気温14℃。年間降水量1250㍉、温暖で太平洋型であるが内陸性気候を併せもち、夏暑く冬強い北西の風によって寒くなります。
このような自然条件から生産される「さしま茶」は、肥沃な土壌と冬の寒さから茶葉に厚みがあるため製茶すると濃厚な味と香りが立ち昇り、コクのあるのが特徴です。
現在は深蒸し製法が主流となり、個々の生産者が自園・自製・自販の茶業経営を展開し一段と、うま味を引き立たせています。
~黒船来航と中山元成~
1853(嘉永6)年、ペリーが浦賀に来航、幕府に開港と交易の開始を強く迫ります。
地元の豪農・中山元成は、「さしま茶」の国内各地への販売を関宿藩より託されていましたが、ペリー来航を機に、海外市場に注目したのです。
内政で混乱している江戸時代末期に、貿易に目を付けた中山元成の慧眼には驚かされますが、翌年(1854年)のペリー団の再来日の折、中山は幕府との折衝に接する機会に恵まれ、国を開き外交・貿易を行うことの重要性にあらためて気づくのでした。