不仲夫婦? 10年間の別居婚生活を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【前編】 (2/2ページ)
1860年以降、井伊直弼による慶喜の謹慎が解かれると共に別居。
1866年。慶喜が徳川15代将軍となるも、慶喜は京都に在京中であり、将軍の正室でありながら大奥入りすることはなかった。
1869年。静岡の地で慶喜と同居。
代役としての結婚本来、慶喜は公卿・一条忠香の養女・輝子(千代君)と婚約していたが、輝子が疱瘡(天然痘)に罹患したことから婚約が流れた経緯がある。
婚約相手がいなくなった慶喜には、同じく一条忠香の養女であり、輝子の養姉にあたる美賀子が急遽代役として立てられ、慶喜と婚約することになった。
【後編】では、2人の関係性や結婚生活についてご紹介する。
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