清少納言は「少納言」じゃない?十二単は12枚じゃなかった。平安時代の勘違いあれこれ (2/3ページ)

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貴族の女性がどのように呼ばれていたかというと、本名で呼ばれることはなく、「父の名前や息子+関係性」(藤原道綱母)とか、「父親の姓と役職の肩書」(和泉式部)などでした。当時本名は呪いに使われる心配があると信じられていたので、公にすることはなく結婚した相手にしか打ち明けなかったのです。

こういった仮の名は「女房名」といい、宮廷に使えるときなどに用いました。女房…という呼称は、源氏物語など古典には必ず出てくるので聞きなれている人も多いでしょう。

ちなみに紫式部は親族に「式部丞」を務めた人がおり、『源氏物語』の紫の上が有名なので「紫式部」と呼ばれたといいます。

清少納言は複雑

清少納言は清原元輔の娘だった「清」が使われましたが、では父か夫が少納言だったのかな?と連想すると、ここが複雑で実は違うのです。なぜ清少納言と呼ばれたのかははっきりとはしていませんが、有力な説はあります。

女房は身分に応じて「上臈、中臈、下臈」などと決められた女房名がありましたが、清少納言は宮中に仕える正式な女官でもありませんし、父は国司(受領)なので一番低い身分になります。

しかし清少納言は才女との誉れ高く、一条天皇の定子(正妻)に仕える私的な女房として宮中内で仕えていました。

本来「少納言」は「下臈の女房」に割り当てられる女房名なので、定子様が「正式な女官なら、あなたは少納言ね」ということで、宮中ではその呼び名にしたのかもしれません。

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