橋本奈々未の個人PV「三浦半島」「自撮り」がアイドルのPVとして“異端”に見える訳【乃木坂46「個人PVという実験場」第17回4/5】
乃木坂46「個人PVという実験場」
第17回 ドキュメンタリーとアイドルの間 4/5
■方向模索期間における橋本奈々未の個人PV
幾度か触れてきたように、乃木坂46の個人PVはその初期段階においては、明らかに方向性を模索する時期を経ている。グループのデビュー1年目、2ndシングル『おいでシャンプー』から4thシングル『制服のマネキン』までは、シングルごとに個人PV全体を貫く統一テーマが設けられ、その枠内でクリエイターたちは各メンバーに表現を託してきた。
その期間にあって、特に3rdシングル『走れ!Bicycle』と、続く『制服のマネキン』収録の個人PV統一テーマはそれぞれ、「ぶらり旅」と「苦手克服」。いずれもTVの紀行番組やバラエティ番組的な趣が強く、後年から振り返れば個人PV史の中でも異質な期間と言っていい。
「ぶらり旅」や「苦手克服」といった統一テーマはまた、いわばメンバーの“素”とされるものを引き出す性格の作品が多くなる。つまり、一般的な意味における「演じる」ことやフィクションを作品に託す枠組みのものではなく、メンバー自身のナチュラルな姿を捉えることに重きが置かれることになる。自然、各個人PVごとのカラーも似通ったものになりやすく、演出を担当するクリエイターごとの色が出にくくもあった。
だが、双方の個人PVを通じて、この統一テーマが誘発するスタンダードな型からはいささか外れた作品を充てられたメンバーがいた。
https://www.youtube.com/watch?v=Gbc8tJjYUss
(※橋本奈々未個人PV「三浦半島」予告編)
「ぶらり旅」が統一テーマに掲げられた3rdシングルの個人PVでは通常、特定の土地にメンバーが趣き、その地での旅情や散策などが主題となる。しかし、橋本奈々未の作品では、「ぶらり旅」をテーマに掲げられた個人PV制作の打ち合わせ風景から映像が始まり、そもそも「ぶらり旅」とは何かを橋本がスタッフに問うてみせる。
前々週に扱った松村沙友理の個人PV「うそつき」(https://taishu.jp/articles/-/93033)などがそうであるように、個人PV内で「個人PVを制作するプロセス」が虚構として演じられるケースは時折ある。
しかし、それらは個人PVというコンテンツがある程度の年数を重ねて、乃木坂46にとって当たり前の存在になっているからこそのメタ的な趣向である。だが、この橋本の作品はデビューから半年にして、すでにコンテンツの所与の前提を問い返す構造を持っていた。
やがて三浦半島が舞台となるこの作品は、独特のテンポを保ちながらいささか不条理な軌道を描いて幕を閉じる。作中で橋本が出会う登場人物の振る舞いも各シーンの展開も、明確に虚構として形成されている。
そして、最後まで旅先の風景や紀行そのものが主役になることはなく、作品に与えられたテーマを橋本がしつこく問い返すことに主眼が置かれ、このシングルの個人PVのうちでも異質な手ざわりをもつものになった。
■「アイドルシーン」にとっての異端
続く4枚目シングルの個人PVでは、テーマが「苦手克服」となったことで、各作品はさらにTVバラエティ的な仕上がりで統一されていく。しかし、ここでも橋本の個人PVは再度、個人PVを制作する打ち合わせ風景からスタートする。
https://www.youtube.com/watch?v=LiyWbZxLkmk
(※橋本奈々未個人PV「自撮り」予告編)
体裁上はテーマに沿って、橋本が苦手だという「自撮り」の克服が掲げられ、そのために「橋本自身が監督となって個人PVを撮る」ことがスタッフから提案される。
しかし、この冒頭のシーンがすでに、フェイクドキュメンタリー的なタッチの虚構である。そして次のシーンからは、橋本が自撮りとはまた別の「苦手」を克服する、ややオフビートかつファンタジックな空気感のドラマが展開していく。
やがて、橋本自身が監督・脚本にクレジットされたこの作品は、ひとつの達成をもって幕を閉じるが、テーマであるはずの「苦手克服」はこの作品にとってはストーリーのきっかけを作るためのものでしかない。前作に続いて橋本の個人PVはやはり、あてがわれたテーマをメタ的に捉え直し、フェーズの違う景色を見せる作品だった。
ここでみた二つの統一テーマは、本来ならばメンバーの「素」にフォーカスするため、言ってみれば虚実の「実」とされるであろう部分を捉えるための枠組みである。しかし、橋本が主演した作品はいずれも、そのテーマの前提を疑うような形で、むしろ明確なフィクションに昇華している。
アイドルシーンにおいて橋本奈々未という存在は、しばしば「異端」的な存在感をもつ人物として語られてきた。もっとも、それは多くの場合、一個人として地に足のついた視点を示していた彼女の在り方によって、アイドルというジャンルの、ときにいびつな特異性が照射されていたにすぎない(https://taishu.jp/articles/-/73163参照)。
キャリアの初期にしてその橋本のもとに、所与の前提を素朴に問い直す作品が立て続けに呼び寄せられていたこともまた興味深い。