仏の嘘は方便、武士の嘘は武略!嘘をついて未来を変えた武将たちを紹介

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仏の嘘は方便、武士の嘘は武略!嘘をついて未来を変えた武将たちを紹介

嘘にも種類があり、優しい嘘や人を傷つける嘘など、さまざまです。

聡明な武将として知られる明智光秀が残した「仏の嘘は方便、武士の嘘は武略」といった言葉があるように、武士は嘘をつき、敵を欺くことで戦況を乗り越えることが多くありました。

今回は、機転を利かせた嘘をつき未来を変えた武将たちを紹介したいと思います。

関ヶ原の戦いのカギを握った忍者・渥美源吾がついた「嘘」

渥美源吾(あつみ げんご)は徳川家に仕える忍者のひとりです。

同じく徳川家に仕える忍者、服部半蔵と肩を並べるほどの忍者だったといわれており、服部半蔵が「鬼半蔵」と呼ばれたのに対し、渥美源吾は「首切りの源吾」とよばれていました。

そんな、渥美源吾がついた「嘘」は、関ヶ原の戦いの勝敗を分けとも言われています。

関ヶ原の戦い、真っただ中の霧が濃い日の早朝、渥美源吾は徳川家康に「今日は戦に勝てます。奇襲に良い時間なので早々に攻め込んで落としてしまいましょう」と言いました。

周囲からは「この霧の濃い中、どうして戦えるのか」と、疑問を問われ、

渥美源吾は「今日の戦いに敗れたら誰も生きて帰れないだろう。つまり、自分の失敗をとがめる人もいない。」と言ったそうです。

渥美源吾の意図としては、嘘であろうと真実であろうと武士たちの士気を高め、先に敵を叩けば勝算も見えてくるだろう、という考えだったのでしょう。

その結果、徳川家康が率いる東軍は見事、関ヶ原の戦いに勝利し、渥美源吾の嘘も効果を発揮したと言えるでしょう。

敵将を信用させて小田原城を奪い取った北条早雲

小田原城は総構が約9kmも張り巡らされていた、戦国時代屈指の堅牢な城です。北条早雲(ほうじょうそううん)は手始めに、小田原城の城主である大森藤頼へ贈り物をして近づきました。

その後、早雲は藤頼の信頼を得ると、鹿狩りの獲物が藤頼の領内に逃げ込んでしまったので、勢子を入れてもいいかと頼みます。

早雲のことを信じきっていた藤頼はあっさり許可してしまい、早雲はらくらくと勢子に扮した兵や千頭の牛を箱根山へと忍び込ませることに成功しました。
そしてその夜、早雲は箱根山に忍び込ませた勢子に扮した兵や千頭の牛と共に小田原城へ攻め込みました。

内側から攻め込まれた小田原城内はパニックとなり、あっという間に制圧されてしまいました。

北条早雲(ほうじょう そううん)の肖像

この早雲の逸話が作り話ではないのかという一説もありますが、この逸話をモチーフに作られた銅像が小田原駅前にあります。

小田原城は攻めこむのが難しい城であるといわれていますが、北条早雲は相模の大名である大森藤頼を信用させ、内側から攻め込むことで、見事、小田原城を奪い取ることに成功しました。

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