もうぜ〜んぶ神様!縄文人のアニミズム信仰と現代人のつながり (3/4ページ)

Japaaan

大湯環状列石

子供の頃に教科書で習った「屈葬」もそうです。

縄文時代の人々は、人が死ぬと、遺体の手足を強く折り曲げて埋葬することが多くありました。

これはもちろん理由は不明で、例えば葬儀における労力の軽減などの合理的な理由をつけることも可能です。一方で、死者の霊が生者に危害を及ぼさないようにするためとか、胎児の姿勢に死者を戻すことで生まれ変わりを祈願するためなどの説があります。

アニミズムと現代人の宗教観

現代では、物事に宗教的な「神秘的な力」を感じる人はあまりいないでしょう。

例えば女性の出産について生命現象の不思議さを感じることはあっても、現代人は土偶を造ったりはしません。多くは、科学的な文脈で説明づけられるのが普通です。

私たちが科学的なものの見方で理解しているところを、大昔の人々は「神様や精霊の力」とする見方で埋め合わせていたのです。

こうした観点から見ていくと、縄文人は、自然現象を神様や精霊の力によるものと考えることでなんとか向き合おうとしていたのだと想像できます。

ところが一方で、「屈葬」の項目で書いたような、死者の霊に関するしきたりや習わしが現代でも残っていることは事実です。

葬儀で、故人を送り出す際に行われるたくさんの儀式を思い出してみると、アニミズムや精霊信仰とまではいかなくとも、ある種の神秘的なものに対する畏れのようなものは、今も私たちの中に残っていることが分かります。

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