詐欺師か天才交渉人か?日本初の商社をつくり賠償金35億を手にした坂本龍馬の話
坂本龍馬(さかもとりょうま)は、「江戸幕府を倒すキッカケを作った人物のひとり」と言われ、高知県へ行くと太平洋を眺める大きな像もあります。
教科書から消えてしまうかもしれないと囁かれながらも、地元民を中心に、強く愛されている歴史偉人のひとりです。
この記事では、そんな坂本龍馬の人物像とともに、賠償金35億円を手にした話についてみていきましょう。
坂本龍馬とは「坂本龍馬(1835年~1867年)」は、土佐藩(高知県)出身の武士で、諸説あるものの、日本で初めての商社「亀山社中(かめやましゃちゅう)」を作った人物だと言われています。
また、日本ではじめて新婚旅行をし、ブーツを愛用したハイカラさんとしても有名です。
「亀山社中」とは「亀山社中」をつくった龍馬は、海運業をはじめ、海援隊を結成。
砂糖の専売で潤っていた薩摩藩をはじめ、土佐藩などから金銭的援助を受けて、運営されました。
名称の由来については、亀山焼が廃窯となって労働者のいなくなった居住跡を拠点としたため、その地名であった「亀山」を使用。
また、「社中」の部分は、人が集まることの意味だと言われています。
薩長同盟のキッカケを作った坂本龍馬龍馬は、江戸幕府から武器を買うことを禁止されていた長州藩(山口県)と、イギリスから武器を買うことのできた薩摩藩(鹿児島県)を仲介。
おかげで長州藩は、薩摩藩名義でイギリスの商社から武器を購入できるようになりました。
そして、倒幕のために武器が欲しい長州藩と、倒幕はしたいが矢面には立ちたくない薩摩藩の思惑が一致し、薩長同盟を結ぶことにつながったと言われています。
海援隊がレンタルした「いろは丸」の沈没「いろは丸」とは、龍馬の結成した海援隊が大洲藩(愛媛県)からレンタルしていた蒸気船で、航海中に紀州藩(和歌山県)の「明光丸」とぶつかり、沈没しました。
荷物ごと沈んだ「いろは丸」には、最新式の銃を積んでいたとして、船と積み荷の代金を請求。
このとき龍馬は、航海日誌の提出や万国公法を持ち出して過失を追及するなど、紀州藩との交渉を有利に進められるよう交渉術を繰り広げたと言われています。
そしてついに、船と積み荷代金を合せて約7万両(現在の約35億円)の賠償金を支払わせることに成功したのです。
詐欺師か、天才交渉人か龍馬の死後から100年以上経ち、広島県にある鞆の浦の海底にて、1988年に「いろは丸」だと思われる沈没船が発見されました。
しかし、龍馬が積み荷だと主張していた最新式の銃は、最近の調査でも見当たらないままとなっています。
そのため、約35億円の賠償金を受け取った龍馬のことをクレーマーや詐欺師だと言う人もいれば、天才交渉人やヤリ手だと言う人もいて意見が分かれているようです。
さて、あなたの見解は?
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