幕末の女スパイ?尊皇攘夷の志士たちを葬り去った井伊直弼の愛人・村山たかの末路【前編】 (2/3ページ)
「お多賀さん(多賀大社の愛称)にあやかって、この子は『たか』と名づけよう(※諸説あり)」
養親たちの躾が良かったようで、文政9年(1826年)、18歳となった『たか』は彦根藩主・井伊直亮(いい なおあき)の侍女として奉公に出ました。
「お城で真面目に勤めれば、きっといいお相手が見つかるぞ。良かった良かった……」
養親たちは『たか』を見送りながら、その幸せを願ったことでしょうが、奉公に出てから2年後の文政11年(1828年)、どういうわけか『たか』はお城勤めを辞めてしまい、故郷を飛び出してしまいます。
「あの子にいったい何があって、どこへ行ってしまったのでしょう……」
「とにかく今は、無事でさえいてくれればいいが……」
行方をくらました『たか』が再び故郷へ戻って来たのは、それから3年の歳月を経た天保2年(1831年)のことでした。
我が子を抱えて出戻って……「……名前は、常太郎(じょうたろう)です」
『たか』が抱いていたのは、生まれて間もない彼女の息子。聞けば故郷を飛び出してから京都の祇園で芸妓をしており、贔屓にしてくれた住職との間に子を授かったものの、私生児として認知されませんでした。