暗殺が横行した幕末「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれた暗殺者たちの末路 (1/3ページ)
幕末は暗殺が横行した時代。特に有名だったのが、「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれる四人の暗殺者でした。
前半では、四大大人斬りのうちの二人、「田中新兵衛」と「河上彦斎」の末路について紹介します。
なぜ暗殺は繰り返されたのか?幕末は刀で時代を変えようとする志士達によって、暗殺が繰り返されました。桜田門外(さくらだもんがい)の変で大老の井伊直弼が暗殺され、水戸藩の名もなき志士達によって時代が動いたのをかわきりに、尊王攘夷の大義のもと天誅(天皇に代わって悪人を成敗する)と称して、要人がその刃の対象となりました。
自分達の中では、「暗殺で時代を変えるのが正義」と信じて疑わなかったのでしょう。
幕末の四大人斬り 1 田中新兵衛(たなかしんべえ)元薩摩藩士の田中新兵衛が、まず暗殺したのが島田左近(正辰)。島田左近は、井伊直弼の右腕えあった長野主膳に協力して、安政の大獄で尊王攘夷派を弾圧していました。しかも京都ではそのころ絶大な権力をふるっていて、土佐勤皇党の武市半平太(瑞山)が台頭するまで都の実質的な支配者でした。さらには、1万両を越えた賄賂を江戸幕府より受け取っていました。
脱藩後上京してきてすぐに、田中新兵衛を含む6名で暗殺する計画が持ち上がるも、失敗に終わります。しかし、ここからが田中新兵衛の怖いところ。その後1カ月間、島田左近を追いまわし、鴨川の河原で斬殺し、晒し首にしました。実はこれが「天誅」の先駆けとなりました。
その後、武市半平太と義兄弟の契りを結び、土佐勤皇党の岡田以蔵らと徒党を組んで武市らの指示で暗殺を繰り返します。命令には絶対服従で同士だろうと自分の敵だろうと容赦なく暗殺していきました。
