大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる「中の家」「東の家」ってどういう意味?江戸時代の屋号を紹介

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大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる「中の家」「東の家」ってどういう意味?江戸時代の屋号を紹介

令和3年(2021年)現在、好評放送中の大河ドラマ「青天を衝け」

後世「日本実業界の父」として偉大な功績を残した渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の生涯を描く大作ですが、現在は青年期の活躍が演じられています。

さて、栄一の家は「中の家(なかんち)」と呼ばれ、近所に住む親戚たちの家はそれぞれ、伯父・渋沢宗助夫婦の「東の家(ひがしんち)」、従兄・渋沢喜作夫婦の「新屋敷(しんやしき)」と呼ばれています。

「中の家」の栄一と「新屋敷」の喜作。Wikipediaより。

これは屋号(やごう)と言い、江戸時代における庶民の知恵とも言える習慣でしたが、その発生には江戸時代ならではの事情がありました。

江戸時代の知恵・屋号

歴史の授業でも「苗字帯刀(みょうじたいとう)」などと習った通り、江戸時代において庶民が公的に苗字を名乗ることは許されておらず(私的にはOKでした)、原則的には「栄一」「喜作」などと呼び合うのですが、人が多くなってくると、名前がかぶってしまいがちです。

例:「もしもし、太兵衛さんにお届けものがございます」
「太兵衛ったってウチの村には8人いるんだが、どの太兵衛だね」

この辺り一帯、みんな同じ一族。

もっとも、現代でも地方によっては「この集落一帯、みんな『鈴木』さん」なんてことも珍しくなく、どのみち苗字よりも具体的に「どの家」の者かを示す必要がありました。

そこで生まれたのが「屋号」。家のある場所(例:川向こう)や近くの特徴物(例:柿の木)、分家を興した初代の名前(例:久兵衛)など、さまざまな工夫をもって呼び交わされたようです。

そもそも、苗字にしても氏(うじ。本姓)が源平藤橘(げんぺいとうきつ。源氏・平氏・藤原氏・橘氏)でほぼ占められてしまったため、各家や個人を識別するために生まれたものですから、苗字から屋号が生まれたことは、一族の更なる発展を意味しています。

現代でも折々の場面で屋号が使われることがあるので、気にしてみると楽しいですよ。

屋号から感じ取れる人々の思い

閑話休題。大河ドラマに話を戻すと、察するところ栄一たちのいる「中の家」が元からある本家で、その東側に宗助夫婦が分家を建てたから「東の家」、そして喜作夫婦が新たに「新屋敷」を建てた……と言った具合でしょう。

屋敷と呼ぶくらいですから、さぞや立派な家が建ったことでしょう。現代と違って住宅ローンなんてありませんから、立派な屋敷を建てられるだけの蓄えをなすべく、喜作夫婦が一生懸命に働いた賜物と言えそうです。

頑張って建てた、喜作夫婦の新屋敷(イメージ)。

それまで「家」を建てるのが精いっぱいだった渋沢家が、みんなの努力によって少しずつ財をなし、とうとう「屋敷」を建てられるまでに発展した様子が目に浮かぶようですね。他の「中の家」「東の家」も、負けじと励んだことでしょう。

「そんな屋号なんて、ストーリーに大きく関係ないでしょう?」

確かにその通りなのですが、こういう細かいところにも意識がいくようになると、単なる家の位置関係や状態(新しいか、立派か)だけでなく、屋号に込められた一族の思いや主人公たちの人間関係が偲ばれ、大河ドラマを観る楽しみも深まっておすすめです。

※参考文献:
井戸田博史『「家」に探る苗字となまえ』雄山閣、1986年4月
大藤修『日本人の姓・苗字・名前 人名に刻まれた歴史』吉川弘文館、2012年9月
坂田聡『苗字と名前の歴史』吉川弘文館、2006年3月

※参考:登場人物|大河ドラマ「青天を衝け」|NHKオンライン

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