米倉涼子VS鈴木京香「共演NG20年」の鬼滅舞台裏(2)真田広之を巡る「スッタモンダ」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

米倉涼子VS鈴木京香「共演NG20年」の鬼滅舞台裏(2)真田広之を巡る「スッタモンダ」

 ドラマプロデューサーが続ける。

「鈴木と真田は、94年公開の映画『119』で共演。“共演者キラー”の真田と噂になりましたが、その当時、真田は手塚理美(59)と結婚していた。その後、鈴木は初主演映画で共演した堤真一(56)との熱愛が発覚しますが、今度は堤が別の女性との関係が噂され破局。その矢先に再び真田とドラマで共演するなど、公私の関係が複雑でした。一方の米倉は、99年に同じ事務所の菊川怜(43)とともに女優宣言を経て、ドラマでは2~3番手を務める駆け出し女優の1人だった。このドラマで役者として熱心な指導を受けたことで、米倉も真田に心酔し、鈴木との溝は深まった。その後、共演者キラーと言われた真田の薫陶に触れ、女優として開眼。『黒革の手帖』(テレ朝系)で大女優のキップを掴むことにつながっただけに、このドラマは米倉にとって大きな転機となりました」

 まさに、両手に花の真田だが、当時はすでに葉月里緒奈(45)との不倫騒動を経て、晴れてフリーの状態。どちらを取ってもおかしくなかったが、やけぼっくいに火が付いたのか、鈴木との熱愛が再燃したのだ。

「真田はハリウッド映画『ラストサムライ』(03年)の出演をキッカケに、活動拠点をロスへ移すのと同時に、鈴木も事務所を辞めロスへ移住したほど。それでも、最終的に結婚までは煮え切らない真田と別れ、10年に『セカンドバージン』(NHK)で共演した長谷川博己(44)と相愛となり、現在に至ります」(芸能デスク)

 やはりライバル女優の背後に異性タブーあり。それでも格上の鈴木が圧勝したのなら、共演NGは解除されてもよかったはずなのだが‥‥。

 2人が20年もの長きにわたり溝を深めたのは、芸能人としての出自が似ていたことが原因では‥‥。そう証言するのは、ファッション誌のスタイリストだ。

「学生時代から地元・仙台でモデルとして活動していた京香さんは、88年に『カネボウキャンギャル』で披露した鮮烈な水着姿が芸能界入りのキッカケとなった。一方、涼子さんは92年の『国民的美少女コンテスト』の審査委員特別賞を受賞し、芸能界入り。その後、数年間は雑誌モデルなど地道な活動を続けていました。米倉さんの事務所としては、同じモデル出身女優ということで格下に扱われることを避けたかった。

「米倉涼子VS鈴木京香「共演NG20年」の鬼滅舞台裏(2)真田広之を巡る「スッタモンダ」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2021年 4/29号真田広之鈴木京香共演NG米倉涼子エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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