江戸時代、将軍の甘〜い夜の営みには監視の為もれなくリスナーがついてきた!?

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江戸時代、将軍の甘〜い夜の営みには監視の為もれなくリスナーがついてきた!?

江戸時代には、女性ばかりがいたと言われるエリア、「大奥」がありました。

最盛期には3,000人以上もの女性がいたと言われているため、将軍ともなれば好きな女性を選びたい放題、そして好き放題できそうなイメージを持つ人も多いでしょう。

しかし、実際にはそうでもなかったようです。

そこでこの記事では、将軍の「甘い一夜の過ごし方」とルールに迫ってみたいと思います。

大奥にいた女性とは

大奥にいたのは、下記のような女性たちでした。

・将軍の正室 … 正式な妻のことで、「御台所(みだいどころ」とも言う

※御台所とは、大臣や将軍などの妻への呼び方です。

・将軍の側室 … 将軍の寵愛を受けている正式な妻ではない女性

・将軍の子女 … 将軍の子供

・奥女中 … 奥女中のなかには多くの役職があり、将軍もしくは正室に仕えて身の回りの世話をした「御中臈(おちゅうろう)」や大奥で力を持っていたとされる「御年寄(おとしより)」のほか、側室の世話や事務処理などをおこなう女中たちもいた

大奥は男子禁制!入れたのは2種類の男子のみ

大奥は男子禁制で、入ることができた男子は、「将軍」と将軍に仕える医師の「御典医」だけ。勝手に大奥に入った男は死罪です。また、たとえ将軍であっても、大奥に好きなときに泊まるということはできませんでした。

歴代将軍や親族の命日などは、前日から、飲食を謹んだり身を清めたりして心身を清らかにしなければなりません。そのため、将軍が大奥に泊まることができたのは、ひと月に10日ほどだったようです。

将軍が選べる女性は3種類 大奥

※画像:イラストAC

平時でも1,000人はいたと言われる大奥の女性たち。全盛期の3,000人ではなくとも選びたい放題だったはず?

いえいえ、将軍が夜を共にできたのは、正室と側室、そして御中臈のみでした。

そのため、たとえ将軍に接触できる「お目見え以上」だったとしても、将軍と恋に落ちたり夜を共にしたりすることは、夢のまた夢だったようです。また、将軍の跡継ぎを産むのは、正室と側室のみに限られていました。

将軍の夜の営みにはもれなくリスナーが!

ようやく夜の営みにまで漕ぎつけても、将軍には、まだ試練が続きます。

それは、夜の営みにもれなく付いてくるリスナーたちの存在です。リスナーの正体は御年寄と御中臈で、隣の部屋から将軍の夜の営みを聞いてチェックしていたと言いますから、集中できなかったのではないでしょうか?

また、同室に監視役の女性が背を向けて横になっていたとも言われています。けれど、これもルールのひとつで、将軍と添い寝する女性を監視したり将軍の跡継ぎとなる母親を把握したりするためだったのだとか。

とはいえ、隣の部屋にいた御年寄や御中臈は、意外と盛り上がっていたかもしれませんねw

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