新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【後編】

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新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【後編】

大坂のぜんざい屋に潜伏

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新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【前編】

さて、尊皇攘夷の志に燃えて故郷・土佐藩を飛び出した大利鼎吉(おおり ていきち)。どうにか新選組との死闘「池田屋事件」をくぐり抜けたものの、討幕計画「禁門の変(蛤御門の変)」に敗れ去って恃みの長州藩はボロボロ、今さら故郷へも帰れません。

「これから一体、どうすれば……」

新選組の捜索を逃れる鼎吉たち(イメージ)。

京都から逃げ出し、大坂に潜伏していた鼎吉は、土佐勤王党時代の同志であった田中光顕(たなか みつあき)、大橋慎三(おおはし しんぞう)、池田応輔(いけだ おうすけ)らと合流。大坂南瓦町のぜんざい屋主人・石蔵屋政右衛門(いしくらや せいゑもん)の元に身を寄せます。

「この辺りも新選組が出張っているので、くれぐれもご用心なされ……」

この政右衛門、ぜんざい屋とは表向きで、実の名を本多内蔵助(ほんだ くらのすけ)。出自は不詳ながら、尊皇攘夷の志を同じくしていました。

「解っておる。忝(かたじけな)い」

「大坂城を乗っ取り、反撃の拠点を築き上げよう!」

「強風の夜を選んで大坂市中に火を放ち、混乱に乗じて大坂城を乗っ取る。この手で参ろう」

「「「おう!」」」

これを聞いていたのが浪人の谷川辰吉(たにがわ たつよし)。彼は新選組の大坂屯所隊長(出張所々長)である谷万太郎(たに まんたろう)の門弟で、さっそく谷へ通報。

谷万太郎。大坂の新選組隊士たちを束ね上げた豪傑の風格。Wikipediaより。

「そうか……あのぜんざい屋、ただの甘味好きではないと思っておったが、やはりか」

「どうする?賊徒は5名、こちらは現在4名。見回り中の者が戻るまで待つか?」

「いや、時間をかけるとかえって不利になるやも知れぬ。こちらは4名だが、不意を衝いてやろう」

「谷川君はここで留守をしてくれ。我らは今すぐぜんざい屋に急行する!」

「「「おう!」」」

かくして新選組からは谷万太郎と兄の谷三十郎(さんじゅうろう)、門弟の正木直太郎(まさき なおたろう)と阿部十郎(あべ じゅうろう)の少数精鋭でぜんざい屋へ急行しました。

4人相手に死闘1時間!ぜんざい屋事件で最期を遂げる

「御用改めである!」

ぜんざい屋へ突入する新選組4隊士(イメージ)。

「来たか!返り討ちにしてくれるわ!」

谷万太郎率いる新選組4隊士がぜんざい屋へ踏み込んだ時、田中光顕、大橋慎三、池田応輔の3名は外出しており、残っていたのは鼎吉と政右衛門だけでした。

「あれ、石蔵屋殿……おのれ、逃げたか!」

仕方なく1対4という圧倒的不利な状況下で逃げ出すことなく鼎吉は立ち向かいます。

「もう逃げぬ!我が一死をもって後に続く者の奮起を信じる……!」

思えば故郷の土佐から脱藩し、京都では池田屋から逃げ、禁門の変で敗走し……もう逃げたくない、ここが死に場所と思い定めて、悔いの残らぬよう暴れ回ってやろうじゃないか。

もしかしたら、外出から戻って来た同志たちが加勢してくれるかも知れない。そうすれば、敵も疲れていようから形勢逆転の希望が見える。

鼎吉は時間を稼いで粘りに粘り、4人を相手に半刻(約1時間)ばかりも闘い抜きましたが、力尽きてあえない最期を遂げます。

「もはやこれまで……!」

時は元治年(1865年)1月8日、鼎吉24歳のことでした。

外出から戻ろうとしていた3人はぜんざい屋の異変に気づいて大和方面へ逃亡。大坂市中の炎上も大坂城の乗っ取りも未然に防がれましたが、これが世に言う「ぜんざい屋事件」の顛末です。

エピローグ

ところで鼎吉は、死の前夜に辞世の句を残していました。

ちり(塵)よりも かろき(軽き)身なれど 大君に
こころばかりは けふ(きょう。今日)報ゆなり

【意訳】塵よりも軽い私ですが、畏れ多くも天皇陛下を思う心だけは誰にも負けないことを、今日こそ証明いたしましょう!

今がその時(イメージ)。

まるで「明日死ぬ」ことを予言しているようですが、尊皇攘夷の志を抱いて土佐を脱藩し、逃げ逃げ逃げして苦境に耐え抜いている自分が、ただ一つ誇れる心を、死に華として咲かせたい……そんな思いで生きていたのでしょう。

「そんな大利君、ちょっと重すぎるよ」

現代日本に生きる24歳なら、悲壮感ただよう鼎吉の痛々しい姿を、そう笑うかも知れません。

「生きてさえいれば、もっと楽しいことがいっぱいあるよ」

確かにそれもそうでしょう。でも、自分が楽しいだけじゃ満足できない、それよりももっとスケールの大きな「みんなの幸せ」を願う若者たちが、昔はたくさんいたのです。

神話の時代から現代に至るまで「みんなの幸せ」を一心に祈り続ける天皇陛下こそ平和な日本の象徴であると信じて闘い、尊皇攘夷の志に死んでいった若者たちがたくさんいたのです。

その行動や判断に賛否こそあれ、少しでも彼らに想いを寄せることが、よりよい日本の社会を築き上げる礎となるのはないでしょうか。

【完】

※参考文献:
伊藤成郎『新選組は京都で何をしていたか』KTC中央出版、2003年10月
菊池明『新選組の真実』PHP研究所、2004年1月
田中光顕『維新風雲回顧録』大日本雄弁会講談社、1928年3月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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