幕末の京都での奇跡!尊王攘夷志士から一転、幕臣となった渋沢栄一と新撰組の意外な縁

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幕末の京都での奇跡!尊王攘夷志士から一転、幕臣となった渋沢栄一と新撰組の意外な縁

2021年の大河ドラマでおなじみの「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」。

実は、幕末の京都の志士達を震え上がらせた「新撰組」と縁があったのです。ちょっと意外ですよね。今回は渋沢栄一と新撰組の意外な縁について紹介します。

渋沢栄一が新撰組と関わった背景

渋沢栄一は農民の生まれで、子どもの頃から学問を良く学び、商業の才能もありました。25歳の時、交流のあった一橋家の家臣である平岡円四郎に推挙され、一橋慶喜(後の徳川慶喜)の家臣となり武士になります。

その5年後には、一橋慶喜が将軍となり、家臣の渋沢栄一も幕臣となります。新撰組と関わったのは、幕臣となって陸軍奉行支配調役という役目についていた時です。その時渋沢は、拠点を京都に移していて、これが新撰組と関わるきっかけになりました。

渋沢栄一が武士になり幕臣となって大出世を遂げ、新撰組と関わることになるなんて……、運命とはわからないものですね。

なぜ渋沢栄一と新撰組が関わったのか?

その頃の京都では「元京都見廻組の大沢源次郎が謀反を企てている」といううわさが流れていました。「京都見廻組」とは、京都の治安維持のために組織された幕臣です。

そこで、組頭の森心十郎から渋沢栄一に大沢源次郎の捕縛を命じられ、その護衛として新撰組が付けられたのです。新撰組の主な任務は、京都の不逞浪士の取り締まりで、命がけの戦いを最前線ですることも多く、腕におぼえのある隊士がたくさんいる剣客集団でした。

大沢の捕縛に向かう前に渋沢の護衛を受け持つ新撰組と打合せをすることになり、局長の近藤勇(こんどういさみ)と対面することになるのです。渋沢は、近藤と対面した時の印象を

「世間の人から見ると無鉄砲な猪武者のように誤解されているけれど、会ってみると意外にも温厚な人物で、物事がよくわかる人」

と語っています。新撰組の世間の印象と実際は違っていたことがよくわかります。

Wikipedia(近藤勇)

渋沢は、その時近藤から「本来なら私が同行するところなのですが、所用のため副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)を同行させます」と告げられます。渋沢は鬼副長土方とも会うことになったのです。

渋沢栄一と土方の出会い

Wikipedia

後日、大沢源次郎捕縛の件で落ち合うため、渋沢は料理屋の2階で待っていました。すると土方が6名の隊士を引き連れてきました。新撰組のトレードマークの浅黄色の羽織は、本当に短い期間のみ使用していたようで、目立たない黒い羽織の黒袴姿でやってきました。

その当時、直接捕縛に副長がでてくること自体がかなり珍しいことでした。陸軍奉行からの依頼だったため、近藤が土方に直接命令したのでしょう。土方は渋沢に、隊のものが大沢を見張っているという状況報告をしました。

土方の様子は落ち着き払っていて、気張った様子もなく柔らかな物腰の口調でした。土方は渋沢より5歳年上でしたが、年齢よりも若く見える美男でした。

渋沢VS新撰組

渋沢は、捕縛の方法を新撰組に説明します。「まず、私が一人で大沢源次郎の前に出向き、陸軍奉行の命令を申し渡す。命令に従わず歯向かってきた場合には、捕縛するように」という旨を伝えました。

すると、新撰組の隊士の面々は「危ないからやめて」と反論。しかし、渋沢も負けじと「道理の通らないことは許さない」と言って一歩も引きませんでした。「いきなり切られたら、それは大沢の企てが明らかになる」と新撰組に言い放ったのです。

すると新選組も言い返します。「護衛する人間が斬られたら新撰組の面目がつぶれる」と。それに対して渋沢は「本末転倒なことを言わないでくれ、こちらに従えないなら護衛の任を解いてもらう」と新撰組に一喝したのです。

すると、押し黙って聞いていた土方が隊士たちを一喝して言いました。「渋沢様の申されるとおりにするべき。渋沢様の武士らしい覚悟承りました。お役目の邪魔は一切いたしませんが、大沢が危害を加えるようなことがあれば加勢いたします。」と渋沢を認め、大沢捕縛に向かうこととなったのです。

もともと土方も農民の出身で、新撰組として武士より武士らしく生きたいという信念がありました。渋沢の意見は、土方の心に刺さったのでしょう。

大沢源次郎捕縛の結末

渋沢が一人大沢を尋ね陸軍奉行の申し渡しをすると、大沢は抵抗することもなく神妙に受け入れ「恐れ入りました」と平服し、あっけない幕切れとなりました。身柄は新撰組に引き渡されたのです。

実は大沢は謀反を企てているわけでもなく、単なるうわさに尾ひれがいくつも付いただけだったのです。実際には大沢は談合で私腹を肥やしたり、仮病を使って京都に居残ったりした程度だったのです。それだけ反幕府勢力に対して幕府が怯えていたことがうかがえます。

まとめ

今回は、渋沢栄一と新撰組の意外な縁について紹介しました。

渋沢栄一と新撰組の土方とは、生涯一度きりの運命の出会いでした。それぞれ全く違った道を歩むことを考えると、奇跡のような一日だったのかもしれません。

渋沢栄一は晩年に、本の中に「新撰組 土方歳三」という名前を見つけます。渋沢は土方のことを「私の友達だ」と言ったそうです。出会いは一度きり、末永い交流があったわけでもありません。しかし、そのたった一度の出会いで、互いのことを理解しあえたのです。生涯で一度はこんな出会いをしたいものですね。

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