実に世知辛い…鎌倉時代の随筆『徒然草』が伝える吉田兼好のがっかりエピソード (2/3ページ)
「おぉ……!」
見上げれば柑子(こうじ。コウジミカン)がたわわに実り、今にも滝のようにこぼれ落ちて来そうな大迫力です。
もっと、もっと近くで見たい。何なら柑子の滝に打たれ、その怒涛に呑み込まれてみたい……年甲斐もなく夢中になって近づいてみると、その根元には厳重な囲いがしてあるではありませんか。
(……あーあ……)
何だか、自分が「柑子を盗もうと思って近づいたのかと疑われた」ような気分になり、がっかりと興醒めしてしまいました。まして純粋な感動の直後だったので、その落差も大きなもの。
まぁ、瓜田李下(かでんりか)とは言うけれど……この囲いさえなければ良かったのに、とかく世の中はこういうものだと嘆息しながら、トボトボ帰っていったのでした。
※瓜田李下……瓜(うり)の畑で靴ひもを結び直そうとしゃがみこんだり、李(すもも)の木の下で冠を直そうと両手を上げれば、それを盗む姿と非常に紛らわしく、疑われても仕方がない=紛らわしいことをするな、という教訓および故事成語。
終わりに神無月のころ、来栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。