おったまげ!日本の近代化に挑戦した幕末の天才奇人・佐久間象山かく語りき

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おったまげ!日本の近代化に挑戦した幕末の天才奇人・佐久間象山かく語りき

古くから「失敗は成功のもと」とは言いますが、カッコ悪いのでなるべくなら失敗はしたくないし、恥ずかしく思ってしまうのが、我ら凡人の性(さが)というもの。

しかしみんなが失敗を恐れていては社会は進歩せず、やはり誰かが先駆けとなって挑戦し続けねばならないのです。

幕末の天才?奇人?佐久間象山。Wikipediaより。

そこで今回は幕末、不屈の闘志をもって日本の近代化に挑戦した天才・佐久間象山(さくま しょうざん)のエピソードを紹介したいと思います。

日本で初めての西洋式大砲を造ろう!

時は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、日本で初めて(※)となる西洋式(鋳鉄製)の大砲づくりに挑戦した佐久間象山。
(※)青銅製の大砲は、既に高島秋帆(たかしま しゅうはん)が製造に成功しています。

彼は蝦夷地(現:北海道)の松前藩から「近年、頻繁にやってくる外国船を打払えるよう、高性能な大砲を造って欲しい」と依頼されていました。

それまでも大砲がないわけではありませんが、日本の大砲は骨董ひ……もとい古式ゆかしき青銅製。

アヘン戦争で惨敗する清軍。Wikipediaより。

同じ青銅砲を使っていたお隣の清(しん)国が、アヘン戦争(1840年)でイギリスにボロ負けしたこともあって、兵器の近代化は日本の独立を守る上で急務となっていたのです。

「うむ、西洋式の大砲を造れるのは日本でこの僕だけであるからして、大船に乗ったつもりでいたまえ!」

この象山、確かに天才ではあったようですが、それと同時に紙一重な奇人でもありました。

「佐久間先生……お頼み申しますぞ!」

当時は高温で鉄を熔(と)かせる反射炉の技術がまだ導入されておらず、従来の製法では湯(ゆ。熔かした鉄)がドロドロして鋳型に上手く行き渡らず、金属の中に空気が入って砲身が脆くなり、一発撃ったら破裂してしまうなど、とても使い物になりませんでした。

だから低温で熔かせる青銅製の大砲が主流だったのですが、鉄製の大砲に比べて砲身が弱いため、装填できる火薬≒飛ばせる砲弾の重量や距離に劣り、それでアヘン戦争は惨敗だったのです。

西洋列強に負けない、立派な大砲を造るのだ!(イメージ)

日本が欧米列強の植民地にされないためには、どうあっても鋳鉄製の大砲を造らねばならない……象山に課せられた使命は重大でした。

未熟な技術と限られた予算の中、日本最高峰の頭脳(自称)をもって創意工夫の限りを尽くし、満を持して完成させた日本で初めての西洋式大砲。さっそく試し撃ちに臨みます。

役人たちもおったまげた?象山先生かく語りき

……が、結果は大失敗。鋳込みの精度にまだムラがあり、砲身が火薬の爆力に耐えきれず、破裂してしまったのです。

「ゴホッゴホッ……」

松前藩の役人たちはもちろん、見物に押し寄せた観衆たちの面前で、象山は大恥をかいてしまいます。

吹っ飛んだ大砲(イメージ)

大玉池(おおたまげ) 砲(つつ)を二つに 佐久間修理(しゅり)
この面目を なんと象山

【意訳】これはおったまげた!大砲を真っ二つに裂いてしまって修理のしようもない。丸つぶれな面目を、何としようものだろうか……

大玉池とは象山の住まいがある「お玉が池」を「おったまげ」にかけ、砲(つつ)を「つ」と「つ」の「二つ(つ×2)」に裂いてしまったことにかけています。修理(修理大夫)とは象山の受領名(非公式の官職)です。

「「「どわっはっはっはっは……!」」」

日ごろ頭の良さをひけらかし、威張り散らしていた象山の大失敗……彼を快く思わない者たちは、ここぞとばかり大笑いしたものですが、今回のスポンサーとなっていた松前藩としては、笑いごとではありません。

「何じゃ、あれだけ大口を叩いておきながらこの不始末……覚悟は出来ておろうな!」

カンカンに怒り狂う役人たちを前に、言うも言ったり象山先生。弁解をするどころか、逆に役人たちをりつけます。

「バカモノ!これは失敗ではなく『成功への過程』だと言うことが解らんのか!どんな事業であっても試行錯誤を繰り返しながら方針を修整し、課題を乗り越えて成功へと至るのだ!」

そりゃ確かに正論ですが……やらかしてしまった張本人が言うのはさすがにどうかと思うし、今回の損失は金額も金額です。

新時代の先覚者?佐久間象山の挑戦は続く。Wikipediaより(撮影:Qurren氏)。

「バカモノ!そもそも君たちが予算をケチり過ぎなのだ!失敗とは、ちょっと上手く行かなかったからと投げ出した者の泣き言に過ぎないのだ!さぁ、もっと予算をよこしたまえ!必ずや日本で初めての洋式大砲を造り上げてみせるぞ!」

「い、いやぁ……『見切り千両(※)』とも言いますし……」

(※)勝てる見込みが薄いと思ったら、いっそ諦めた(見切った)方が損失も少なく、結果として千両の価値があるとしたことわざ。

結局、鋳鉄製の国産大砲はもうしばらく先のこととなりますが、その態度はともかく、新たな時代を自ら切り拓こうとする象山の心意気は見習いたいところです。

※参考文献:
東徹『佐久間象山と科学技術』思文閣、2002年5月
松本健一『評伝 佐久間象山』中公叢書、2000年9月

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