大島優子がセンターに選ばれた必然性。『ヘビーローテーション』でAKB48を国民的アイドルグループへ【アイドルセンター論】

日刊大衆

大島優子
大島優子

なぜ彼女たちは「センター」に立ったのか⁉
アイドルセンター論
AKB48 大島優子(前編)

 2021年に入り『神様のカルテ』(テレビ東京系)、『ネメシス』(日本テレビ系)と話題作に続々出演している大島優子。AKB48卒業してから女優としてしっかりと実績を築き上げ、高い評価を受けている。アイドル時代には前田敦子とライバル関係を築き上げ、お互いが切磋琢磨し合ってきた大島。

 AKB48が国民的なアイドルグループへとステップを歩んでいく過程のなかで、大島という存在がいかに大きな存在、役割を担ってきたのか。今回この連載では、AKB48が”国民的”アイドルへと近づくことに寄与した大島の魅力について考察していきたい。

 大島優子は1988年10月17日に生まれ、母親に薦められ7歳から子役として活動をスタート。芸能界経験者の少ないAKB48のメンバーのなかで、大島の存在はそれだけで異質な存在であった。

 高校生になり芸能活動に区切りをつけようと思っていた最中、当時の芸能事務所のマネージャーから『第二期AKB48追加メンバーオーディション』を知らされ、受けたところ合格。2006年4月に劇場公演デビューを果たし、チームKの中心として活動。

1stシングル『会いたかった』以降、卒業するまでほぼ全てのシングルで選抜入り、2010年の選抜総選挙では1位を獲得し、後に国民的アイドルソングへと成長する17thシングル『ヘビーローテーション』で初のセンターにも選ばれた。

 2011年には指原莉乃横山由依北原里英とともに派生ユニット「Not yet」としても活躍。また、大島はAKB48在籍時から女優としても活躍し、2014年6月に卒業してからは本格的に女優業へ。2014年公開の映画『紙の月』では第38回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞している。

 大島は自らを変幻自在のエンターテイナーと称しているように、何でも器用にこなしてしまうし、優等生なアイドルというイメージが強いだろう。

 プロデューサーの秋元康も「安心してバッターボックスに送り出せるヒッター」と評しており、彼女に対しては絶大な信頼を寄せていた。メディアの前に立てば的確なコメントを残すし、常に笑顔で取材にも応じる。時には高橋みなみに変わってリーダーシップを発揮し、チームを牽引する時もあった。

 一生懸命で全力で取り組む姿やたまに見せる無邪気な仕草も彼女の魅力だった。不安定さを抱えながらも特異なアイドル性を発揮し、絶対的センターとして君臨していた前田とは正反対ともいえる。

 前田が0か100かであれば、大島は常に80点を満遍なく取るというイメージだろうか。だが、ある種の不完全さが一定の支持を集めるアイドルにとって、それは必ずしもプラスに働くわけではない。優等生だった大島がセンターに立つ道のりは決して順風満帆ではなかった。

 前田が絶対的センターとして君臨するその背後には必ず、大島の存在があった。AKB48の全盛期には前田と大島の2人がライバルとして描かれる構図があり、それゆえに恒例の選抜総選挙はより一層多くの盛り上がりを見せていた。

 2010年6月、大島はトップ確実視されていた前田を抑え、センターに抜擢されることになる。それ以前の全シングルで前田がセンターを務め、この牙城は崩れないだろうと思っていた矢先の出来事にAKB48内外で驚きの声があがった。

 しかし、大島の一生懸命な姿勢を見てきた多くのファンが彼女を1位へと押し上げたのは、AKB48の選抜総選挙という民意が生んだ必然の産物と言えるだろう。後編ではセンターに立った必然性とそこで残した大島の功績を紹介する。

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