誕生日は死へのカウントダウン?柳沢教授が考える誕生日を祝う理由 (3/3ページ)

心に残る家族葬

最後にこの議論をずっと聞いていたという学生(教授の四女の恋人)の「誕生日のお祝いくらいで何でそこまで…」というもっともな感想でこの話は終わる。

■誕生日は「善きこと」である

柳沢教授は誕生日とは、新しい領域に踏み込むことだと結論づけ肯定的に捉えた。教授にとって誕生日とは、ソクラテス(BC470頃〜399)の言い方を真似ると「善きこと」であった。善きこととは幸福か?不幸か?この文脈でいえば、それは幸福である。当然自分の誕生日を祝われることも幸福である。だから江古田教授は、自分自身も幸福にしたい柳沢教授に対して、「自分が好きなんだな」と皮肉ったのである。そして柳沢教授は自分にとって善きことは、自分だけでなく、人にもそうあってほしいと思っている。

他人が善きこと→幸福であることを祝うのは、その人を好きだからだ。好きな人にも善きこと→新しい領域に踏み込んでほしい、そう願うことだ。誕生日を祝うとは、その人の人生を祝うこと。その人の人生を愛しているということである。

誕生日はその人が生まれ、今も存在していることの証。誕生日とはむしろ祝う人達の方が、存在してくれてありがとうと、お礼を言う儀式なのかもしれない。正月に話を戻すと正月こそ自分知人隣人全員の誕生日といえる。だから人は正月を祝うのである。

■死もまた「善きこと」かもしれない

一休の指摘も真理ではある。死はどのみち逃れられないゴール。正月も誕生日も冥土の旅の一里塚なのは間違いない。しかし誕生日が未知の領域への一歩であり、それが善きことであるなら、死もまた未知の領域である。それならば死もまた善きことかもしれないではないか。

ソクラテスに倣って「善きこと」という言い方を取り入れたが、ソクラテスはまさに死後の次のステージを確信していて、死を善きこととして自ら毒杯を仰いだ。おそらく柳沢教授も臨終に際して、この先に何があるのだろうとワクワクしながら目を閉じるに違いない。私たちもまた未知の領域を楽しみにしながら誕生日とそして死を迎えたいものである。

■参考資料

■山下和美「天才!柳沢教授の生活 26巻」 講談社(2008)
■プラトン著/岩田靖夫訳「パイドン―魂の不死について」岩波文庫(1998)
■プラトン著/久保勉「ソクラテスの弁明・クリトン」岩波文庫(2007)

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