まさに源義経の再来!毛利元就に討たれた悲劇のイケメン戦国武将・相合元網のエピソード (2/3ページ)
そんな元網は今義経(いまよしつね)とも呼ばれていたそうで、かの源平合戦(平安時代末期)の英雄・源義経(みなもとの よしつね)の再来を意味しますが、いったい何が共通していたのでしょうか。
義経と言えば(1)天才的な軍略(2)軍記物語で謳われる美貌(3)悲劇的な最期……などで有名ですが、(1)はこれといった実戦経験も見られず、(3)も元綱がまだ生きているため、恐らく(2)の美貌で評判だったものと考えられます。
(実際の義経はそれほど美男子でもなかったそうですが、こういうものはイメージが大事なのでしょう)
「おぉ、三郎様……九郎御曹司(義経)もかくやとばかりと若武者ぶりにございますな!」
ゆくゆくは立派に成長し、兄・元就の覇業を助けて大活躍……そんな将来を嘱望されながら、その兄に討たれて(3)も満たしてしまったのは、皮肉と言うよりありませんでした。
宿老・坂広秀らに担がれ……元網が討たれたのは大永4年(1524年)4月8日、兄・元就の家督相続に反対した坂広秀(さか ひろひで)、勝元忠(かつ もとただ)らが「三郎殿こそ毛利の後継者に相応しい!」と元網を担ぎ上げたことによります。