白石麻衣が「乃木坂シネマズ」で見せた重層的な演技【乃木坂46「個人PVという実験場」第18回6/6】

日刊大衆

白石麻衣
白石麻衣

乃木坂46「個人PVという実験場」

第18回 個人PVに現れる「都市」6/6

■変わりゆく渋谷を舞台にした「サイレントマジョリティー」MV

〈東京〉を捉えた個人PVやMVについてみてきたが、それらの作中でたびたび立ち上がってくるのは、定まった姿にとどまることなく、常に形を変えてゆく都市の景色だった。そのようにして、まさに作り変えられていく只中の繁華街を主役のひとつに据えたのが、「坂道シリーズ」史上でも最も世間にリーチした映像作品のひとつ、欅坂46『サイレントマジョリティー』(監督:池田一真)のMVだった。

https://www.youtube.com/watch?v=DeGkiItB9d8
(※欅坂46「サイレントマジョリティー」MV)

 統率される者とレジスタンス双方の姿を巧みに描き出した本作は、TAKAHIRO(上野隆博)による振付や尾内貴美香が手がけたコスチュームなど、多面的なクリエイティブの結集によって強いインパクトを生んだが、当時再開発中だった東急東横線渋谷駅前の工事現場内部というロケーションもまた、このMVにおいて小さくない役割を果たしている。

 急速に移り変わる風景の中でも、巨大な繁華街の中心的スポットの開発は、とりわけ都市の変化を象徴するものでもあり、またその工事現場内部の風景はごく限られた一刹那でしかありえない。このMVは欅坂46がデビューにして強い衝撃を残した時代の記憶を、都市の風景とともに刻印するものになった。

 一方、同じ渋谷の反対側、桜丘方面も長らく再開発の工事が続き、駅前の景色は現在も日々刻々と移ろっている。同時代性と強く関わるポピュラーソングを視覚的に作品化する際、時制的な記憶を重ね合わせる場として、このような過渡的なロケーションはお誂え向きといえる。山田智和が監督した、あいみょん『さよならの今日に』MVでは『サイレントマジョリティー』と背中合わせのように、桜丘方面の工事現場が撮影地に選ばれた。

https://www.youtube.com/watch?v=C1yP_GQ9s4E
(※あいみょん「さよならの今日に」MV)

 山田智和もまた、移り変わってゆく街としての東京をたびたび映像作品に収めてきた作家である。

 たとえばKID FRESINO『Coincidence』MVで山田は、新宿に数年に一度クラスの大雪が降ったタイミングを逃さず、すぐさま新宿駅東口から新宿三丁目方面に向かう大通りを映像に収め、きわめて限られた刹那にしか現出しなかった東京の姿を捉えている。

https://www.youtube.com/watch?v=JvOBHAfXX1Y
(※KID FRESINO「Coincidence」MV)

■「乃木坂シネマズ」の白石麻衣の姿

 その山田は、乃木坂46メンバーが主演を務めるFOD配信のドラマシリーズ『乃木坂シネマズ』に参加し、白石麻衣が主演する第10話「街の子ら」(脚本:木戸雄一郎)で監督を務めている。本連載2020年3月24日更新分(https://taishu.jp/articles/-/73323)でふれたように、「乃木坂シネマズ」は乃木坂46が個人PVやMVを通じて蓄積してきた、俳優を育む組織としての歴史をくむ企画といえる。

https://www.youtube.com/watch?v=_k6qXWUc6I0
(※乃木坂シネマズ「街の子ら」PR映像)

「街の子ら」は、先にみたKID FRESINO『Coincidence』MVと同じく、新宿を東方向へと進む道を捉えたカットから始まる。

 白石演じる主人公の由梨は、夜中に乗車したタクシーの助手席に少女(庄司英)が乗っていることに気づき、訝しむ。子どもを預ける場所がないため仕方なく同乗させていると語る運転手(渡辺真起子)は、ほんのひととき子どもの面倒を見ていてほしいと由梨に頼み込み、由梨は少女と二人、置き去りにされてしまう。少女とともに水族館をめぐる由梨は、戸惑い苛立ちながらも、やがて少女にささやかな共感を寄せる。

 運転手と由梨の背景には、姿は描かれないながらも、それぞれの人生を弄してきたであろう幽霊的な存在感をもつ他者たちの気配が感じ取れる。

 運転手の口から語られる二人の男性は、いずれも己の価値観を押し通し、彼女をぞんざいに扱う者として立ち現れる。一方、白石演じる由梨は重大な決断をその身に引き受けるが、その決断に不可避に介在しているはずの男性もまた、どこまでも顔のみえない透明な存在である。あるいは終盤で明かされるように、少女の来歴にもまた、責任を追うべき者の不在が浮かび上がる。

 やがて、そうした境遇をもつ者たちが互いにひととき生かされるような時間を経て、由梨が運転手や少女と別れる瞬間、異なる世代や人生を歩いているはずの三人の生が直線で結ばれる。

 それは、冷え冷えとした現実を生きる者たちそれぞれの時制をかき混ぜ、溶け合わせるような寓話的瞬間である。中盤の水族館のシーンでは、由梨と少女が海月やイルカを眺める場面が示唆的に挿入されるが、それらのカットもここにきて複層的な意味を帯びてくる。

 白石麻衣の微細な表情が印象深い「街の子ら」は、俳優としての彼女をとらえるとき、はずすことのできない重要作のひとつだ。そしてまた、それぞれに状況を引き受け、決断しながら生きてゆく「子ら」を包み込むのは、雨降る夜の東京である。登場人物たちの置かれた環境を暗示するような寒々しい空気も、現在見返すと一層空回りしたものに感じる「東京オリンピック」の気配までも含めて、やはりこの街の佇まいも本作の主役である。

「白石麻衣が「乃木坂シネマズ」で見せた重層的な演技【乃木坂46「個人PVという実験場」第18回6/6】」のページです。デイリーニュースオンラインは、あいみょん欅坂46白石麻衣エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧