幕末の志士たちを震え上がらせた新撰組!10人の組長たちの終焉【前編】 (3/3ページ)

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松原忠司の終焉

松原忠司は、四番隊組長となって2カ月後に平隊士へ降格され4カ月後には死亡。享年30歳。一体何が起こったのでしょう?降格の理由もはっきりした死因もわかっていません。切腹未遂があったらしいですが、こちらも理由がはっきりしていないのです。事件がらみの不祥事とも殺害した浪士の妻を囲っていたのを土方に咎められたとも。

その後、切腹未遂の傷が悪化して死亡したと言われていますが、真相はわかっていません。いろいろな説で共通しているのは切腹が未遂に終わったこと、平隊士に降格になったことのみです。その他の説としては心中などもありますが、真相は闇の中です。

武田観柳斎 五番隊組長

甲州流軍学を収めた武田観柳斎は、浪士組から新撰組に代わるころに入隊しました。局長の近藤勇に重宝され、五番隊組長と文学師範に就任。その上新撰組軍師としての地位も確立します。新撰組での活躍実績も多数残っていますが性格的に問題があり、近藤や土方にあからさまにこびへつらう人物だったようで、永倉などからは敵視されていたそうです。
幕府がフランスの軍事訓練を取り入れると、新撰組で武田の軍学は古いものとして疎んじられ、次第に居場所を失っていきました。

武田観柳斎の終焉

武田観柳斎は隊での居場所を失い、新撰組からの脱退を申し入れ受理されます。その後は同志たちと手を組み、独自の勤王活動を行ったり新撰組に害を及ぼす金策活動を行ったりしていました。しかし、新撰組に察知され同士ともども暗殺される結果に。享年37歳。武田観柳斎の死には、薩摩藩への出入りを隊士に見つかり暗殺されたとの説もあります。

まとめ

前編では、新撰組の一番隊から五番隊までの組長の終焉の時を紹介しました。新撰組組長で寿命を全うできた人物がいたのは意外ですよね。

いろんな終焉がありましたが、新撰組組長として一瞬だったとしても、まばゆい光をはなったことは間違いありません。

【後編につづく】

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