実は「超」が付くほど女好き?徳川慶喜への経済支援も行った「渋沢栄一」ってどんな人? (2/3ページ)
・現在のみずほ銀行
・東京瓦斯(現在の東京ガス)
・東京証券取引所
・東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)
・王子製紙
など
渋沢栄一と徳川慶喜は仲良し戊辰戦争後、静岡に定住した徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は隠居生活を送っています。
しかし、幕府の崩壊によって職を失った元幕臣たちは慶喜を恨んでいたため、仲の良かった人物は栄一くらいだったといいます。
栄一は、幕末の頃より敬愛していた慶喜に経済支援をし、慶喜はこの恩を忘れないようにと家人に言い残していたのだとか。
2人の親密な関係は、慶喜が亡くなるまで続いたといわれています。
女好きでもあった渋沢栄一栄一は「超」のつく女好きであり、「いろんな意味で生涯現役」と揶揄されることもありました。
奥さん以外にも複数の妾がおり、花柳界(色街界隈)では5本の指に数えられるほどの女好きだったようです。
フランスへ学びに行ったときには、現地の女性を愛人にするなど呆れるほどの女好きで、20人もの子供がいたと言われています。

