門下生には坂本龍馬や新撰組隊士も。江戸三大剣術道場「玄武館」と北辰一刀流の軌跡【後編】
江戸時代後期に創始された剣術流派「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」。江戸にあった道場「玄武館(げんぶかん)」の門下生は3000人を超え、江戸随一の剣術道場となった。
今回は幕末から明治維新にかけて活躍した志士たちを多く輩出した北辰一刀流剣術の歴史をご紹介する。
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玄武館には北辰一刀流を体得するため、多くの志士が門下生として在籍した。著名な人物を以下にあげる。
・坂本龍馬(さかもとりょうま)
土佐藩士。脱藩後は明治維新に尽力した。龍馬は剣術修行で北辰一刀流の門弟となる。玄武館の門弟であった確証はないが、時代背景からその可能性が言われている。
・新撰組・藤堂平助(とうどうへいすけ)
新撰組の八番隊組長。北辰一刀流の玄武館に入門。十代で目録を取得する腕前であった。
・新撰組・山南敬助(やまなみけいすけ)
新撰組総長。小野派一刀流・免許皆伝の腕前であり、後に北辰一刀流の玄武館の門弟となった。
玄武館の門弟には、他にも各藩の藩士や維新志士が多く在籍した。門弟たちは新政府軍や旧幕府軍に与し、幕末から明治維新において刀を振るった。
稽古北辰一刀流の稽古は4つに大別される。
組太刀(くみだち)
実際に打ち込みを行うことで相手との間合いや受けなどの感覚を掴む稽古。大刀を用いた四十三本や、特定の形が存在する。基本的に木刀を用いて寸止めする。
竹刀剣術
組太刀稽古を保管する目的で行われる。防具と竹刀を用いて実際に打ち込むことで、技術を体得する。
抜刀術
居合。鞘に収めた状態の刀を抜くことで相手の攻撃を交わしたり、加えたりする剣術。主に自衛のための護身術として使用された。初伝・中伝・奥伝がある。
長刀(薙刀)術
長刀を利用した剣術。二十九本の形がある。
現在の玄武館本部は東京都杉並に存在し、その歴史を継承している。
参考:北辰一刀流 玄武館
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