耳の聞こえないベートーヴェンが不屈の精神で骨伝導を発見するまでの物語

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耳の聞こえないベートーヴェンが不屈の精神で骨伝導を発見するまでの物語
耳の聞こえないベートーヴェンが不屈の精神で骨伝導を発見するまでの物語
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 音楽史上極めて重要な作曲家の一人であるベートーヴェン(1770年 - 1827年)。音楽の教科書や、音楽室にあるその肖像画を知らない人はほとんどいないだろうし、交響曲第9番を聞いたことがない人もほとんどいないだろう。

 デビューしたてのころは耳は聞こえていたのだが、20代後半頃より持病の難聴が徐々に悪化し、40歳頃には完全に聞こえなくなったと言われている。

 それでも彼はたくさんの交響曲や歌曲を書き続けた。不屈の精神を持つベートーヴェンは、作曲や演奏を続けるため、聴力を得ることができる身体現象に偶然たどり着いた。それが骨伝導だ。

 ピアノの上に木の棒を置き、反対側を歯でくわえることで、自分の演奏の音が聞こえることを発見したのだ。

・耳が聞こえなくなっても名曲を書き続けたベートーヴェン

 1824年5月7日、あの有名な交響曲第九番がウィーンのケルントナー・トーア劇場で初めて演奏された。

 54歳だったベートーヴェンは、当時すでにまったく耳が聞こえず、客席の最前列にいた正指揮者と共にタクトを振っていたが、この壮大な曲が終わったのに気がつかなかった。後ろを振り向いて初めて、聴衆から嵐のような拍手喝采を浴びていることを知ったのだ。


Beethoven 9 - Chicago Symphony Orchestra - Riccardo Muti

 ベートーヴェンのキャリアは、まさに天才的なものだったが、私生活では難聴や、数々の苦悩と闘う辛い日々を送っていた。

 ベートーヴェンが自分の耳が聞こえないことに気づいたのは、28歳頃と言われている。この頃すでに彼は、ウィーンの音楽シーンで確固たる地位を築いていて、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトと並ぶ期待の星とされていたが、これが事態を悪化させた。

 よりによって、偉大な音楽家が聴覚を失うなど、どれほど残酷な運命だったか、想像に難くない。ピカソが視力を失い、ロダンが腕を失うようなものだろう。

 自殺も考え、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』もしたためたそうだが、ベートーヴェンは不屈の精神の持ち主だった。そう簡単には諦めなかった。彼の有名な言葉に次のようなものがある。

運命の喉首を締めあげてやる。わたしは決して運命に圧倒されない

 彼はまさにその言葉通りの人生を送った。

 急速に聴力が衰えていったにもかかわらず、1803年から1812年にかけて、オペラ1曲、交響曲6曲、ピアノ協奏曲4曲、弦楽四重奏5曲、弦楽ソナタ6曲、ピアノソナタ7曲、ピアノ変奏曲5組、序曲4曲、三重奏4曲、六重奏2曲、歌曲72曲も作曲している。

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・不屈の精神で骨伝導の発見したベートーヴェン

 苦しみにまみれた人生だったのに、ベートーヴェンは決して諦めなかった。障碍を補う助けになるものを工夫したのだ。

 作曲や演奏を続けるため、試行錯誤しているうちに、聴力の中心となる身体現象に偶然たどり着いた。それが骨伝導だ。

 当時、研究者たちにも聴力の仕組みはよくわかっていなかった。だが、ベートーヴェンは耳で音が聞こえなくなっても、指揮棒のような木の棒の端をピアノの上に置き、反対側の端を歯でくわえることによって、自分の演奏の音が聞こえることを発見した。

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 その状態で、ピアノのキーを叩くと振動が起き、それが自分の顎に伝わって直接内耳に届く。奇跡的に音が聞こえるようになったのだ! 今でいう骨伝導の発見だった。

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 音は空気を振動させ、それを耳がとらえることで聞こえる。こうした微細な振動が特定の周波数で鼓膜を振動させ、内耳として知られる蝸牛が解釈できる異なる種類の振動に変換される。

 蝸牛は音の情報を聴神経を通して脳に伝える。これが気導音の聴覚プロセスだ。

 しかし、人間にはこの気導音のほかに、もうひとつ音を聞く方法がある。内耳が耳ではなく骨を通して直に音の振動にさらされれば、鼓膜を通さなくても音が聞こえるのだ。

 耳をふさいでも、自分の声が聞こえるのは、この仕組みによるものだ。クジラが深海に潜っても音が聞こえるのも、オスのゾウが数キロ離れたところにいるメスの足音を聞くことができるのも、この骨導音のおかげだ。

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・ベートーヴェンが発見した骨伝導は今も様々な目的で使用されている

 ベートーヴェンが難聴をうまいこと解決した骨伝導の仕組みは、今ではさまざまな補聴器に利用されている。

 骨固定型補聴器(BAHA)は、マイクでひろった音を振動に変換して、頭蓋骨を介して内耳の中の蝸牛に伝える。骨伝導聴覚機器は、欠陥のある鼓膜の役割を果たしているのだ。

 骨伝導聴覚機器は、場合によっては健常者も利用することがある。例えば、軍隊で使われているヘッドセットは、敵の銃撃音がうるさい戦場でも、骨伝導機器を通して伝達された上官の命令を聞くためのもの。

 ヘルメットに装着されることもある。また、ダイバーが水中で話したり聞いたりするために装着する場合もある。

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・ベートーヴェンの聴覚障碍との最後の闘い

 ベートーヴェンが難聴と闘った事実は、人間として偉大な話だが、彼の難聴の原因は謎のままだ。ほかにも多くの病気を患っていたため、診断はよけい困難になった。

 炎症性腸疾患が原因と思われる慢性的な腹痛や下痢、鬱病、アルコール依存症、呼吸器疾患、関節炎、目の炎症、肝硬変など、たくさんの不調があった。

 1827年にベートーヴェンは56歳で亡くなったが、大量の飲酒が最終的に彼の命を奪ったのかもしれない。解剖の結果、重度の肝硬変が認められ、耳の聴神経など、聴覚器官が膨張していることがわかった。

 当時の風習として、死者の髪を切り取って形見とする習慣があり、若い音楽家フェルディナンド・ヒラーが、ベートーヴェンの遺髪をもらい受けて保存していた。

 1世紀近く、ヒラーの遺族がその遺髪を保管していたが、それがどういうわけか、デンマークの医師ケイ・フレミングの手に渡った。

 フレミングは、デンマークがナチに占領されていた戦時中、大勢のユダヤ人をスウェーデンへ逃して救ったことで有名な医師だ。

 フレミングが住んでいた小さな漁村近くにスウェーデンとの国境があったのだ。一説によると、そんなユダヤ難民のひとりが、助けてくれた感謝のしるしにと、フレミングにベートヴェンの遺髪を贈ったという。

 はっきりわかっていることは、この582本の遺髪がフレミングの娘の手に渡り、それが1994年にオークションにかけられたということだ。

 それを、アリゾナに住む泌尿器科医、アルフレッド・ゲバラがわずか7000ドルで落札。そのうちの数本を残して、残りをカリフォルニアのサンノゼ州立大学にあるアイラ・F・ブリリアント・ベートーヴェン研究センターに寄贈した。

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・ベートーヴェンの難聴の理由を解き明かそうとした現代の科学者

 この時点で、大学の研究者たちは、この偉大な作曲家の難聴の理由を解き明かそうと、遺髪のDNA検査を行うことを考えた。

 遺髪は、DNA、科学物質、法医学、毒物学など、さまざまな検査にかけられた。すぐに異常に高いレベルの鉛が検出された。

 ベートーヴェンが生きていた時代、鉛中毒については知られていなかった。食事用の皿や飲み物用のゴブレットが、この有毒な金属を使って作られるのは一般的なことだった。

 ベートーヴェンは、ワインを飲むのが好きだったが、当時のワインにはうまみや甘みを増すためによく鉛が使われていたのも事実だ。このように徐々に体内に蓄積した鉛による中毒で、聴力を失った可能性もあるという(諸説ある)


・音楽と共にあり続けたベートーヴェン

 長い間、ベートーヴェンは自分の聴力障碍を隠そうとしていた。耳が聞こえないことがまわりに知られると、自分のキャリアが終わりになるのではないかと恐れたのだ。

 しかし、長く秘密にしておくことはできなかった。作曲家自身が自分の曲を指揮し演奏するのは通常のことだったので、その状態はすぐに知られることになった。

 1814年、ベートーヴェンのピアノリハーサルの様子を見た仲間の作曲家ルイス・シュポアは、「ピアノフォルテの箇所をよく見ないと音楽が理解できない。あまりに過酷な運命に、深い悲しみを禁じ得ない」と語った。

 45歳のとき、ベートーヴェンは完全に聴力を失い、まともな社会生活を送ることもできなくなった。晩年、かつての大作曲家は、限られた友人しか訪ねてこないような、隠遁生活を送るようになっていた。

 あの有名な第九を含む、この時期に作曲された曲には、ベートーヴェンの自然への愛や、田舎での完全に無音の生活への愛しみが反映されている。

 ベートーヴェンは、第九について「絵画以上の感情の表現」だとしていて、これは第一楽章の表題によって強調されているポイントだ。完全に音が聞こえなくなってからも、彼はオーケストラと声楽家のための「荘厳ミサ曲」、オペラ「フィデリオ」など、ほかにも大作を作っている。


ベートーヴェン:フィデリオ (ベーム, 1970年)【全曲・日本語字幕】

 ベートーヴェンの内耳が晩年になっても機能していたとしても、ピアノと骨伝導スティックを使って、自分の曲を聴き続けることができたかどうかはわからない。

 専門家は、ベートーヴェンは曲作りのルールをすべて完全にわかっている名作曲家だったから、自
分の作品を聴く必要はなかったのではないかと考えている。

 たとえ、耳が聞こえなくても、ベートーヴェンは音楽という言葉を使いこなし、苦境をバネにして生きるエネルギーのためのインスピレーションを与えてくれた、比類なき作曲家であることは間違い
ない。

References:How a deaf Beethoven discovered bone conduction by attaching a rod to his piano and clenching it in his teeth/ written by konohazuku / edited by parumo
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