即位式の玉座で性行為…即位後に性欲爆発した「花山天皇」が2年で退位させられるまでの生活

Japaaan

即位式の玉座で性行為…即位後に性欲爆発した「花山天皇」が2年で退位させられるまでの生活

天皇といえば、日本の象徴であり、厳格な存在です。しかし過去の日本には、そんな天皇のイメージとはかけ離れた、自由奔放で女性関係も淫らな天皇がいました。

この記事では、そんな破天荒な天皇を紹介するとともに、即位してから退位させられるまでの2年間を紹介します。

月岡芳年「花山寺の月」

花山天皇とは

「花山天皇(かざんてんのう)」は、968年に父「冷泉天皇」と母「女御懐子」の第一皇子として誕生しました。生後10ヶ月頃に、叔父・円融の即位とともに皇太子となります。そして、984年には、16歳という若さで第65代天皇に即位しました。

ただ、その即位式当日に天皇皇后両陛下のみが座ることを許されている「高御座」で、女官と性行為をするといった淫らで非常識な行動をとっています。

また、王冠が重すぎると駄々をこね、大臣たちを困らせることもあったのだとか。

即位後は性欲爆発!

花山天皇が即位したあとは、さらに淫らさと非常識さがヒートアップします。たとえば、母方の叔母に手を出して乳母子を妊娠させ、乳母子の娘まで妊娠させたほか、自身の関白「藤原伊周」が愛していた「藤原為光の娘」にも手を出してしまうのです。

このことで伊周の逆鱗に触れた花山天皇は、伊周と伊周の弟に襲撃され、衣の袖を矢で射られます。大事に至ることはなかったものの、この事件が公になったことで、伊周と伊周の弟は流罪の刑となりました。

しかし、そもそも花山天皇が狙っていたのは藤原為光の娘ではなく妹の方だったというのですから、何とも言えませんね。

「寛和の変」

関白であった「藤原伊周」がいなくなり、「後ろ盾」を失った花山天皇は格好の餌食となり、天皇の座を奪おうとするものが多く現れました。

皇太子・懐仁義親王の外祖父であった右大臣・藤原兼家も、皇太子の天皇即位と自身の「摂政就任」を目論み、花山天皇を退位させようと計画します。

そんななか、花山天皇の妻「藤原忯子」が、出産時に母子ともに亡くなるという悲劇に見舞われるのでした。淫らな女性関係にうつつを抜かしていた花山天皇も、20歳という若さで愛する妻を亡くしたことに、ひどく落ち込んだようです。

これは良い機会とばかりに兼家は、花山天皇と仲の良かった息子の道兼を利用し、妻の死を悲しむ花山天皇に出家して供養するようすすめ、京都にある山科の元慶寺へ向かわせます。

そしてその間に、花山天皇の出家手続きをし、退位させてしまうのです。この事件を「寛和の変」と言い、兼家は皇太子の天皇即位と摂取主任の目的を果たしたのでした。

たった2年の天皇生活

たった2年という短い期間に、複数の女性に手を出しまくり、命を狙われ、妻を亡くし、さらには天皇の位まで奪われた花山天皇。

彼のように奇行や珍行動を起こした天皇は少ないため、これからも生涯語り継がれていくことでしょう(笑)なんだか、少し同情しますね。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「即位式の玉座で性行為…即位後に性欲爆発した「花山天皇」が2年で退位させられるまでの生活」のページです。デイリーニュースオンラインは、花山天皇天皇カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る