渡辺みり愛、桜井玲香の個人PVに描かれた「霊魂」が示すものとは?【乃木坂46「個人PVという実験場」第20回2/5

日刊大衆

※元乃木坂46桜井玲香/画像はEXwebの記事(https://exweb.jp/articles/-/64754)より
※元乃木坂46桜井玲香/画像はEXwebの記事(https://exweb.jp/articles/-/64754)より

乃木坂46「個人PVという実験場」

第20回 乃木坂46が「人間ならざるもの」を演じるとき 2/5

 前回更新分では中田花奈の個人PVを例にとり、人間ならざるものに人格を与えて主人公にしたドラマ型作品をみてきた。中田が演じたのはいずれも無機物であったが、今回は逆に、もっとも人間に近いもの、すなわちかつて生身の人間であった存在を主役にしたドラマについてとらえてゆく。

渡辺みり愛の「わたしのみかた」

https://www.youtube.com/watch?v=-lr2o7R-GWo
(※渡辺みり愛個人PV「わたしのみかた」予告編)

 乃木坂46の14枚目シングル『ハルジオンが咲く頃』に収録された渡辺みり愛の個人PV「わたしのみかた」(監督:タナカシンゴ)は、アパートの一室で窓の外の雨降りを眺めながら、歌を口ずさむ渡辺の姿から始まる。やがて渡辺の心情を語るナレーションによって、彼女が雨を好む理由と、幼少時の母親との思い出とがいくらか重なり合う。雨は彼女にとって、亡くなった母を思い出す起点になっていることがここで浮かび上がる。

 やがて帰宅してきた姉を促し、二人でどこへともなく出かける。かつて幼い渡辺の手を引いて歩く母が手にしていた赤い傘を、今度は渡辺自身が差しながら近所の路地を歩む。並んで歩きながら二人が語らうのも、やはり母と過ごした雨の日の出来事についてである。雨の中で散歩する家族の姿を象徴的な画として、このショートドラマは亡き母の記憶と交信する姉妹の姿が主役になっているようだ。

 しかし、日光が町を照らして雨が降り止んだことを示すカットと同時に、この二人の他愛ないコミュニケーションのもつ意味が明らかになる。放り出された赤い傘と、ただ一人残されて佇む姉の後ろ姿。亡き母の記憶を姉と語らっていた渡辺もまた、移ろう天気と同様に儚く、姉の前から姿を消してしまう。さっきまで隣にいた渡辺に対して投げかけられる悪態まじりの姉の言葉は、今ここに存在しない者に向けられた愛おしさの表現である。

 すでにこの世のものでなくなった人を霊魂として現前させ、むしろコミカルに描くこともまた、当人に対する愛着のあらわれであり、また人間の生にどうにか希望を見出そうとするすべでもある。そうしたコメディに振り切った個人PVが、17枚目シングル『インフルエンサー』に収録されている桜井玲香の作品「こわい」(監督:泉田岳)である。

■桜井玲香の「こわい」

https://www.youtube.com/watch?v=c8-1sjnUDRc
(※桜井玲香個人PV「こわい」予告編)

 とあるコインランドリーで、清掃スタッフの男性から唐突に「霊に取り憑かれている」と告げられる若者。若者の背後に立つのは、彼に対して怒りを覚えているらしい「霊」としての桜井。霊感があると思しきその清掃スタッフが事細かに霊の特徴を説明してみせることを通じて、三者の間には微妙に噛み合わないながらも親しげなコミュニケーションが生まれる。

 可笑しみのあるやりとりのうちに、若者は不器用ながらも、霊である桜井をたしかに「存在」するものとして扱い、彼なりのやり方で敬意を払う。その様子に桜井も心を開き、両者の関わりは一歩深まったものになる。

 けれども、霊としての桜井の心が晴れてゆく瞬間はまた、彼女がこの世に残留する必然がなくなってゆくきっかけでもある。当初はオーバーに感情を表出していた霊がわだかまりをほどき、穏やかな心持ちになっていくまでの過程が、もとより演技力に長けた桜井の振る舞いによって、豊かに表現されてゆく。

 やがて、コインランドリーに残される若者と清掃スタッフの二人。若者と桜井とを繋ぐ通訳であった清掃スタッフは、彼に対して優しい嘘をつき、二人の仲を疑似的にとりもってみせる。そして、桜井がいまだその場にいると想定しながら、彼女の振る舞いを描き出していく。

 それはまた、亡くなった者のありようを解釈し位置づけるのは常に現在生きている他者であるという、生死をめぐる普遍的な光景の一片を示すものでもある。

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