基本、ノーパンあたりまえ!?平安時代の意外と知られていない下着事情 (2/2ページ)

Japaaan

平安時代、男性の下着事情は?

身分が高い男性は「大口」と呼ばれるものを身につけていました。大口は、現在で言う「トランクス」に近いものでしたが、丈がとても長く、十分丈くらいだったといわれています。

そして、丈が長く足元まで及ぶため、表袴(現在のズボンに相当)の裾からはみ出て見えるように着ていたそうです。これは、当時「風流」であり、彼らにとってはおしゃれだったとされています。

そして、公用服である束帯では、大口は赤色に限定されていたといわれています。現代の感覚からすると、赤い下着を見せながら履く、というのはちょっとびっくりですよね!

平安時代、「ふんどし」はあったのか?

昔の下着、というと「ふんどし」を思い浮かべる方も多いかもしれません。では、平安時代に「ふんどし」は存在したのでしょうか?

平安時代末期の鳥獣戯画には、ふんどしが見られることもあります。また、身分が低い人々はふんどしを着用していた、という説もありますが、これが日常的に使われていたのか、また何かの代わりだったのかということまでは、まだ明らかになっていません。

いかがでしたか?平安時代は、今のような「下着」ではなかったということがわかりました。そして、現代のような、身体にフィットするようなタイプの下着でもなく、基本的に「ノーパン」が当たり前であったのですね。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「基本、ノーパンあたりまえ!?平安時代の意外と知られていない下着事情」のページです。デイリーニュースオンラインは、平安時代下着カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る