情熱の歌人・与謝野晶子とアール・ヌーヴォーの画家・ミュシャの意外なつながり (3/3ページ)
影のある感じも好き!明治時代の画家 一条成美のモダニズム溢れるテイストがたまらない
ちなみに、晶子は、1908年(明治41年)に鉄幹の後を追ってパリを訪れており、いくつかパリへの愛を語った歌も残しています。また、晶子と鉄幹のあいだには6男6女の12人の子どもがおり(そのうち1人は生後2日で亡くなっています)、四男はアウギュスト(のちに“いく”と改名)、五女にエレンヌという名前をつけています。
妻は与謝野晶子!男性の強さと繊細さを詠んだ、与謝野鉄幹の短歌を紹介いかがでしたか?
文学と絵画という二つのまったく違うフィールドで活躍した与謝野晶子とミュシャ。しかし、雑誌「明星」を通じて、意外なつながりを持っていたことがわかりました。
この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

