一本のネジから造船所へ…小栗上野介忠順が計画した幕末最大の国家プロジェクト「横須賀造船所」 (3/4ページ)
現に、小栗忠順は造船所の他にも、諸外国の語学学校や日本発のホテル「築地ホテル」にも携わっています。後の近代日本が示したビジョンは、この時の小栗忠順の影響を受けていると言っても過言ではないでしょう。
斯くして、小栗忠順はフランス人の技術者「レオンス・ヴェルニー」という有能なアドバイザーを得て造船所建設という大仕事に取り掛かることになります。
海外にも引けを取らない造船所を造るためには、まずその土台となる土地が重要です。ヴェルニーは三浦半島にある横須賀村を要地にするよう提案しました。その理由として、
①過去に外国船修理の実績がある
②横須賀の水深
③石造りのドライドックを据えるに耐えられる地盤の固さ
④背後に尾根があり、風の影響を受けにくく、波が立ちにくい
という点が挙げられました。このような条件はヴェルニーの母国の良港「ツーロン港」に似ていたことが決め手となったと言われます。
慶應元年(1865)、紆余曲折を経て建設が始まりました。当時の日本には、レンチやネジ等といった金属部品や道具を作る施設がなく、新しく造られた工場では、当初、そのような金属製品を造っていたので、「横須賀製鉄所」と呼ばれました。後にこの横須賀から各地へその技術が伝播していくことになりました。