東京オリンピック開会式で海老蔵が魅せた!歌舞伎「暫(しばらく)」の単純痛快な物語

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東京オリンピック開会式で海老蔵が魅せた!歌舞伎「暫(しばらく)」の単純痛快な物語

「し〜ば〜ら〜く〜!」

令和3年(2021年)7月23日に行われた東京オリンピックの開会式。

コロナ禍での開催とあって賛否両論あるそうですが、マンガやゲームなどサブカルチャー色が目立った中、日本の伝統芸能で魅せてくれた一人が市川海老蔵さんの演じる歌舞伎「暫(しばらく)」

歌舞伎のトレードマークとも言える隈取(くまどり)に豪放磊落な立ち回り、ただ独り(実際には演出を支える黒子さんも一緒ですが)屹立して世の中に相(あい)対する気概は、観ていて力が湧いてくるようでした。

ところで、そんな歌舞伎の人気演目「暫」って、一体どんなストーリーなんでしょうか。今回はそれを紹介したいと思います。

単純にして痛快!鎌倉権五郎景正の一声

帝位を狙う清原武衡(左から二番目)とその一味。歌川国貞「吉例 暫」

今は昔の平安時代、奥州の豪族・清原武衡(きよはらの たけひら)が帝位に就こうとたくらみ、それを諫めた加茂次郎義綱(かもの じろうよしつな。源義綱)ら多くの者たちを捕らえ、打ち首の判決を下します。

いよいよ処刑が執行されようとするその時、義綱の家来である鎌倉権五郎景正(かまくらの ごんごろうかげまさ)が颯爽と登場。

「暫く!(ちょっと待った!)」
※このセリフがタイトルの由来です。

手下どもをなぎ払い、みんなを助け出した権五郎は武衡を論破して謀叛の野望をくじき、これで一件落着めでたしめでたし……。

「え、これだけ?」はい、これだけ。ほぼ出オチです。

絶望的な状況下、誰もが悪に屈せざるを得まいと諦めかけていたその時、あの男だけは諦めず、一発大逆転の奇跡を起こすみんなのヒーロー・権五郎

「暫く!」

武衡の手下らをなぎ倒す権五郎(中央)。歌川国貞「吉例 暫」

そのカッコよさ以外は正直どうでもいい(※)と言わんばかりの勢いで発せられる一声は、まさに歌舞伎が表現する庶民の反骨精神を象徴するものと言えるでしょう。

(※)実際の清原武衡はそんな大それた謀叛を起こしていませんし、「後三年の役(永保3・1083年~寛治元・1087年)」で敵味方になったとは言え、権五郎と直接対決した史実もありません。

永らく天下泰平が謳われた江戸時代。表向きの戦さこそなくなったものの、権力を嵩(かさ)にきた役人の搾取や、庶民同士でも陰湿ないじめが蔓延(まぁ、現代も変わりませんね)。

「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」

※和田竜『のぼうの城 上』185ページ

「長いものには巻かれよ」「水に落ちた犬は棒で叩け」

敵の中ボス・鹿島入道震斎を要石で鎮める権五郎。「雨にハ困り野じゆく志ばらくのそと祢」

とかく鬱屈した世の中に「暫く!」と一石を投じ、こざかしい連中をバッサバッサと斬り捨てて、悪の権化を完全論破。そんな痛快なヒーローを望む庶民の思いが、あの一言に受け継がれてきたのでしょう。

終わりに

ところ改めて、今回の東京オリンピック。

AIやドローンなど何かと先進的な演出が多かった印象ですが、せっかく世界に日本をアピールするのであれば、10年20年後にはどうなっているかもわからない流行りものより、歌舞伎のみならず伝統的な文化・芸能を強調した方が、外国の方にも喜ばれたように感じます。

日本人は何かと自分たちの伝統文化を諸外国に比べて遅れたものと否定し、より新しく「進んだ外国の文化」に倣い、趣向を凝らした方が喜ばれると思い込む傾向が見られるものの、決してそんなことはありません。

伝統芸能には、世に流されない魅力がある。豊原国周「暫」

「ちょっと待て。自分たちの持っているよいものをきちんと見直し、誇りを持て」

ただ独り屹立する権五郎の姿は、人々が忘れかけている日本の精神や美学を全身で訴えていたように感じられます。

※参考文献:
河竹繁俊・児玉竜一『歌舞伎十八番集』講談社学術文庫、2019年9月12日
十二代目 市川團十郎『新版 歌舞伎十八番』世界文化社、2013年9月14日

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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