スグに出来ると思ってた?吉原遊郭で遊女と寝るためのしきたりと、そこに込められた意味
江戸時代、性風俗の一産業として発展した吉原遊郭(よしわら ゆうかく)。
そこには様々な事情から性を売った(売らざるを得なかった)女性と、複雑な思いでそれを買った男性がいて、多くのドラマが生み出されたことは、今日知られる通りです。
転じて、現代でも性風俗店を「吉原」と呼ぶことがあり、欲求不満な男性たちがいそいそと出かけていくのを目にしたものでした。
しかし、当時の吉原遊郭は現代とは違い、行ったその日に遊女と寝る(性欲を処理する)ことができた訳ではなかったようです。
「え、それじゃあ吉原遊郭へ行って何をするの?」
そこで今回は、吉原遊郭で遊女と寝るために求められたしきたりと、そこに込められた意味を紹介したいと思います。
初会、裏返し、馴染み……彼女が心を開くまで言うまでもなく、吉原遊郭は遊女たちと「寝る」ための場所ですから、いつまで経っても寝られないという訳ではなく、
「一見(いちげん)さんがフラッと行ったその場で寝られる訳じゃなく、遊女と床を共にするためには、一定のプロセスがある」
という意味です。念のため(あまりに面倒すぎると、もっと気楽に利用できる私娼たちに客をとられてしまいますしね)。
では、初めて吉原遊郭に行ったお客が何をするかと言いますと、指名した遊女と「初会(しょかい)」の席につきます。
初会では遊女が上座、客が下座につき、遊女は客に対して斜め45度を向いて眼も合わせなければ、口を利いてもくれません。もちろん、目の前の食膳にも箸をつけません。
客が遊女を見るのは自由ですが、同時に客も遊女や店側から品定めをされます。
「アンタ、あの男はやめときな」こんな会話があったのかも(イメージ)
この一見無礼とも思える態度にどう反応を示すか、外見や立ち居振る舞い、そしてもちろん財力(※)などもろもろチェックされ、遊女に嫌われる、もしくは店がストップをかければ、もう二度目はありません。
(※)初会の席に限らず、以降もすべての費用は客が負担します。遊女のランクにもよりますが、トップクラスの太夫(たゆう)や花魁(おいらん)と添い遂げるには、現代の価値で数千万円も貢いだ事例もあるとか。
(……まぁ、これは通過儀礼。あくまで紳士に振る舞おう。我慢々々……)
もちろん、客側にも遊女が気に入らなければ次は別の遊女を選ぶ(再び初会の席につく)権利はあります。
まぁお互いそれなり以上に気に入って、どうにか初会を通過すると、お次は意地の「裏返し(うらがえし)」。
前回は意地を張ってあんな態度をとってしまったけれど、そこまで熱心に想って下さるのであれば……と、少し心を開いてくれたのか(そういう演出で)、座る向きだけはこっちを向いてくれます。
でも、まだ恥ずかしいようでやはり一言も口を利いてくれず、緊張で喉も通らないのか(そういう演出で)食膳にも箸はつけません。
(……よしよし、ここまでくればあと一息……)
そして三度目でようやく「馴染み(なじみ)」。めでたく夫婦(めおと)の絆が結ばれ、二人は床入り(※)を果たすのでした。
(※)初会や裏返しでも泊まっては行くのですが、遊女とは別々の布団。誘惑に負けて夜這いなどかけようものなら、たちまち用心棒につまみ出されて出入り禁止です。
ちなみに、「馴染み」となったら擬制とは言え夫婦ですから、他の遊女への「浮気(指名)」は厳禁(裏返しの段階まではOKですが、同じ店だと気まずそうですね)。
同じ店ではもちろんのこと、もし他の店に出入りしていることがバレたら、キツいお仕置きが待っています。
……お疲れ様でした。
遊女たちへのリスペクト以上、一見さんが吉原遊郭で遊女と寝るまで三夜がかりのプロセスを紹介しましたが、これはすべての店、すべての遊女がそうだった訳ではなく、よほど惚れ込んだお客であれば初会の晩に床入りした例や、また時代が下るにつれて簡略化していったそうです。
(遊女によっては、あまりお高くとまっていたら、客がつかない事情があったのかも知れません)
それにしても、このお見合いのような回りくどいしきたりが何故生まれたのかと言いますと、客の質(経済面や人格面など)を確保する目的に加え、遊女に対するリスペクトがありました。
現代の風俗産業でもそうですが、性を売る女性というのは、そのほとんどが好き好んで(好奇心など)ではなく、経済的困窮から苦界に身を投じています。
「アンタも辛い思いをしてきたンだネ」たくましく生きる遊女たち(イメージ)
故郷で飢えに苦しむ両親や兄弟たちを助けるため、女衒(ぜげん。遊女専門の人買い)に我が身を売って江戸・吉原へとやってきた女性たち……そんな事情を知っているからこそ、性を買う男性側も、遊女たちを蔑んで扱うようなことはありませんでした。
(もちろん例外はいたでしょうが、カネにモノを言わせて遊女たちを侮辱するような手合いは、誰からも相手にされなかったことでしょう)
だからこそ、遊女の中には身請けされて客と結婚する事例も少なからずあり、これは娼婦(売春婦)を堕落した存在として軽蔑する西洋人にとって不思議でならなかったと言います。
どんな世界にいようとも、惚れた相手と結ばれたいもの……美談ばかりじゃ生きてはいけない苦界ですが、どれほど大金を積もうと、心までは買えません。
人間の欲望が渦巻く遊郭だからこそ、せめて二人の絆にだけは(たとえお芝居であっても)純粋さを求めたい。そんな願いが込められているように感じられます。
※参考文献:
安藤優一郎 監修『江戸の色町 遊女と吉原の歴史』カンゼン、2016年6月
小野武雄『吉原と島原』講談社学術文庫、2002年8月
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論 巨傑誕生篇』小学館、2014年1月
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