武士たちの心をワシ掴み!一目で御家人たちの本質を見抜いた源頼朝公の洞察力 (2/3ページ)
「なんと……賊は手強(てごを)うございますな」
「小鹿島殿は討死……流石は御殿挙兵以来の勇士、天晴れな最期であったろう」
「それに引き換え、由利めは臆病風に吹かれたか、やはり新参者は恃みにならんな!」
小鹿島橘次こと橘公成(たちばなの きんなり)は頼朝公が反平氏の兵を挙げた治承4年(1180年)以来の古参である一方、由利中八こと由利維平(これひら)は、元は奥州藤原氏が滅ぼされて捕虜となり、最近仕えてまだ一年にもならない新参者です。
討死した橘次への追悼もそこそこに、揃いも揃って中八への悪口大会が始まろうとしていたところ、頼朝公が口を開きました。
「……使者の報告は間違っている。討死したのは中八に違いない。どちらかが逃げたというなら、それは橘次のはずだ」
【原文】使者の申詞(もうすことば)相違ありや。中八は定めて討ち死にせしむるか。橘次は逐電するか
※『吾妻鏡』建久元年(1190年)1月18日、19日条
より御恩を受けている古参の橘次が逃げ出して、まだ怨みも残っていよう新参の中八が、命を捨てて忠義をまっとうするなどと言うことがあるでしょうか。
「よいから検(あらた)めよ。