武士たちの心をワシ掴み!一目で御家人たちの本質を見抜いた源頼朝公の洞察力 (1/3ページ)

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武士たちの心をワシ掴み!一目で御家人たちの本質を見抜いた源頼朝公の洞察力

よく「人を見る目」があるとかないとか、そんなことが話題になる場面があります。

「やはり、君の目に狂いはなかったな」

「また浮気されたの?アンタはホント男を見る目がないねぇ」

などと言いますが、人の本質を見抜くのは難しいようでいて、大抵の場合は最初の直感がそのまま正しかったことが多いようです。

今回は平安時代末期、御家人たちの本質をよく見抜いて人心を掴んでいた源頼朝(みなもとの よりとも)公のエピソードを紹介したいと思います。

「中八が逃げる筈はない」頼朝公の慧眼

時は文治5年(1189年)12月、同年9月に滅ぼされた奥州藤原氏の残党である大河兼任(おおかわ かねとう)らが叛乱を起こしました(大河兼任の乱)。

「申し上げます!小鹿島橘次(おがしま きつじ。公成)殿、討死!由利中八(ゆり ちゅうはち。維平)は逐電(ちくでん。逃亡)!」

鎌倉へ駆けつけ急報を告げる使者に、御家人たちはざわめき立ちます。

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