もうカタギに戻れない…殺人を犯した明治時代の美人芸妓・花井お梅の末路【下編】 (3/4ページ)
その動機は史料によって様々であり、いつも?の口喧嘩がエスカレートした結果とか、好きでもない峰三郎のストーカー行為が鬱陶しかったとか、峰三郎に店を乗っ取られそうになったなど諸説あります。
「美しすぎる芸妓、恋人を刺殺!」「権利争いか、痴情のもつれか」……などなど。
美人芸妓の殺人事件とあってマスコミは喜んで飛びつき、あることないこと書き立てられた挙句、ムメは「毒婦」の濡れ衣を着せられてしまいますが、当のムメは計画的犯行どころか動転して歩けず、父親に介助されながら自首するほどでした。
裁判所へ引き立てられるムメ(水月のお粂)。豊原国周「月梅薫朧夜 重罪裁判所前の場」
裁判の結果、無期徒刑(無期懲役)の判決が下され、服役中もマスコミによってその動静が騒ぎ立てられ、けっきょく明治36年(1903年)4月に釈放。ムメは41歳になっていました。
事件から十数年が経ってもまだ野次馬が群がってくるのを避けるため、定刻より早めに刑務所の裏口から出て行ったそうです。