スパコン「富岳」の生みの親は、あの名作ファミコンソフトの開発者だった! (2/3ページ)
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「松岡氏たちが集まっていた西武百貨店池袋店のパソコンコーナーには、後に任天堂の代表取締役となる岩田聡氏(故人)もいて、そんな学生パソコンマニア達に、岩崎技研工業が出資し、1980年に立ち上げられたのが『HAL研究所』だったんです。ただ、研究所といっても、社員はひとりで、他の6人は全員学生アルバイト。秋葉原にあるマンションの一室を借り、そこで開発がスタートしたと言われています」
社名の「HAL」は、IBMの一歩先を行くという意味から、「IBM」のアルファベットを1文字ずつ前にずらしたものだという。
「当時はまだパソコンがマイコンと呼ばれていた時代。『HAL研究所』は周辺機器などを多く手がけていましたが、パソコン画像表示とサウンド能力を向上させるユニットPCGシリーズをヒットさせるなど、業界でも注目される会社だったようです。83年に任天堂からファミリーコンピューターが発売されると、ファミコン市場に参入。