現代とはかなり違う!?昔の人は何を「うつくしい」と感じたのか、古典文学から探る (2/3ページ)
小さなゴミを無邪気に見せて来る子供、前髪を払い押さえることも知らず、首をかしげる子供……確かに可愛らしいけれど、あまりbeautifulではなさそうですね。
現代の感覚では美しさよりもむしろ「幼(いとけな)さ」を感じてしまいますが、それでは次の『万葉集』はどうでしょうか。
「橘の 古婆(たちばなのこば。地名)の放髪(はなり)が 思ふなむ
己許呂(こころ)宇都久思(うつくし) いで(出で)吾(あれ)は行かな」
※『萬葉集』巻十四 東歌より
【意訳】かの地にいる振り分け髪の少女が私に逢いたいと思ってくれる心を「うつくしく」思うため、私はどんな大変な道中も苦にせず行こう
振り分け髪とは文字通り前髪が目の邪魔にならないよう額の中央で振り分ける髪型で、イコール幼女を指します。
これは恋人やそういう恋愛感情の対象ではなく、娘かあるいは姪っ子、あるいは知人の娘さんなどに「また逢いたいから、来てくれる?」と言われて「あぁ、もちろん来るよ!」と約束したのかも知れません。
あの子の喜ぶ顔が見たいから、どんな険しい道のりも苦にはならない……相手を「うつくしく」思う感情は、そんな意欲の源泉ともなるようです。