役者が英語を話すことも!西洋との融合を図った明治時代の歌舞伎を錦絵で見る

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役者が英語を話すことも!西洋との融合を図った明治時代の歌舞伎を錦絵で見る

江戸時代から人気のあった歌舞伎は明治時代も引き続き楽しまれますが、時代の変化に伴いさまざまな革新がありました。

ここでは錦絵を通して明治時代の歌舞伎を見ていきたいと思います!

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現代劇・西洋と融合した歌舞伎

明治期になると、歌舞伎は政府も介入し、現代劇や西洋との融合を図ります。

明治の時代背景を描写し、洋風の物や語を前面に押し出した演目・散切物(ざんぎりもの)が公演されたり、外国人にも見てもらうを考慮して、役者が英語を話すこともありました。

とは言っても、構成や演出など根本的な部分は従来のものと変わらず、革新というより当時の流行を取り入れた形でした。

明治時代の歌舞伎は創作禁止!現実ベースで!

《武田信玄 川中嶋東都錦画》楊洲周延 明治15(1882)年6月上演 猿若座

江戸時代の歌舞伎では、当時の出来事はもちろん歴史も含め、現実にあったことを題材とするのを禁じられていました。

しかし、明治5(1872)年、新政府は「狂言綺語(創作話)をやめる」という、それまでの歌舞伎の価値観を根底から揺るがす要求をします。また外国人が見ることを考慮して、時代考証を正確に行うことも求められました。

そのため、こうした新政府の要求に応えるには、今までの歌舞伎の価値観や考え方を一新していく必要がありました。

明治期になり増える劇場

《久松町劇場 久松座繁栄図》歌川広重三代 明治12(1879) 

明治17年7月の、久松町久松座の新築完成の様子が描かれています。

江戸時代、官許の劇場は中村座、市村座、森田座の三座に限られていましたが、明治時代になると10箇所の劇場を認められたため、江戸三座以外にも7つの劇場が公認されました。

洋装で英語を話した歌舞伎役者、五代目尾上菊五郎

《風船乗評判高閣》五代歌川国政 明治24(1891)

新しく増えた劇場では、西洋文化を取り入れた舞台が多く誕生します。

五代目尾上菊五郎は洋装で宙乗りをし、英語を話しました。

明治24(1891)年公演の「風船乗評判高閣」では、洋装の五代目尾上菊五郎が気球で舞台上へ舞い上がり、花道から戻ってくると「Ladies and gentlemen!」と客席に挨拶したそうです。

これは、前年に流行したスペンサーの風船乗り(気球乗り)を真似たものでした。

五代目尾上菊五郎は役になり切るために慶應義塾を訪ねて英語を習ったと逸話が残っており、大変研究熱心出会ったことが伺えます。

活歴物と九代目市川團十郎

《見立五人男》楊洲周延 明治13(1880) 中央が市川團十郎

新政府の「狂言綺語(創作話)をやめる」という要求に応じて作られたのが活歴物と呼ばれる一連の作品群で、役者として活歴物の芝居の中心となったのが九代目市川團十郎(1838〜1903)です。

時代物は史実に忠実な内容にしたいと考えていた彼は、これを機会に歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥に依嘱し、内容や演出扮装ともに史実に即した新史劇を執筆させました。

団十郎自身も学術関係者や文化人と組んで時代考証を重視した演劇に取り組みます。こうした活動が、やがて活歴物という一連の演目を世に出すことになりました。

《児雷也譚》楊洲周延 明治13(1880) 市川團十郎は児雷也役(左)

こちらは創作ですが河竹黙阿弥の歌舞伎狂言で、藤橋のだんまり、三すくみの見得などがよく知られています。

明治の写楽!歌舞伎役者絵の達人、豊原国周

《照日の前 片桐我童・中條姫 中村福助・藤の谷 岩井松之助》豊原国周 明治20(1887)

明治時代、錦絵が徐々に衰退していく中、役者絵を描き続けた絵師・豊原国周。

人形町の具足屋嘉兵衛を版元に、彫工・太田升吉による役者似顔大首絵を多数制作し、このシリーズで「役者絵の国周」として知られるようになりました。

後に浮世絵や西洋版画の研究家・小島烏水により「明治の写楽」と称せられます。

《龍釣瓶花街酔醒》豊原国周 明治21(1888)

国周の門人だった楊洲周延も、鮮やかで迫力のある役者絵をたくさん手がけています。

《平将門島広山討死の場》豊原国周 明治23(1890)

このように、3枚続の画面に一人立ちの半身役者絵を描く大胆な構図は当時の人々の目を引きました。

最後に

このように見ていると、明治期の人々にとって歌舞伎や錦絵が身近に親しまれていた様子や、どうしたらより多くの人に楽しんでもらえるか改良を続けてきた様子がわかります。

こうした先人たちの努力があって歌舞伎が今日にも続いていると考えると、嬉しい限りですね。

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