いつからそこに?大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公・北条義時の墓が頼朝公の隣に!? (3/5ページ)

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だから同じ場所(玉垣の中)に頼朝公と義時の墓が存在すると勘違い、実際には一基の石塔であっても、両者の墓があることを示す二基分の記号が表記されたのでしょう。

この法華堂とは頼朝公の持仏(じぶつ。お守りとして身近に持っていた仏像)をお祀りする仏堂(持仏堂)で、頼朝公の死後はその菩提を弔う場所となりました。

義時の墓はこの場所から少し東にある法華堂跡にあったものと推定されますが、厳密な位置は未詳となっています。

石柱が指す「法華堂跡」とは、頼朝公と義時それぞれの法華堂と墓を包括した広い範囲を示しており、それが地図業者の誤解を招いてしまったようです。

いくら鎌倉幕府のキーパーソンだったからと言って、妻の北条政子(まさこ。義時の姉)ならともかく、墓まで寄り添わせるのは、流石にちょっとね、と思ったひとときでした。

※なお、北条政子の墓は寿福寺(鎌倉市扇ガ谷)にあります。

近くに側近たちの墓も!

ちなみに、せっかく頼朝公の墓に詣でられたのであれば、時間が許すならもう少しだけ足を伸ばしてみるのがおすすめです。

頼朝公の墓から義時の法華堂跡へ。けっこう高低差があるので、参詣には覚悟が必要。

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